「神八井耳命」の版間の差分

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父の神武天皇が崩じた後、朝政の経験に長けていた庶兄の[[タギシミミの反逆|手研耳命]](たぎしみみのみこと)は皇位に就こうとして、弟たちを害そうとした。この陰謀を母后の歌から察知した神渟名川耳尊(後の綏靖)・神八井耳命は片丘([[奈良県]][[北葛城郡]][[王寺町]])の大窖にいる手研耳を襲い、これを討った。この際、神八井耳は恐怖で手足が震えおののいて矢を放てず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟が天皇として即位するに及び、これを助けて天神地祇を掌ることとなったが、3年後に薨じた。[[畝傍山]]の北墓に葬られたと伝えられ、現在、[[奈良県]][[橿原市]]山本町の八幡神社(古く八井神社と呼ばれた)はその伝説地とされる。
 
『古事記』・『新撰姓氏録』・『[[先代旧事本紀]]』・『阿蘇氏系図』によれば、神八井耳命の子孫は繁多に分かれ、[[多氏|多君]]([[太安万侶]]の一族)・[[小子部氏|小子部連]]・[[坂合部氏|坂合部連]]・火君・[[大分氏|大分君]]・[[雀部氏|雀部臣]]・[[小長谷氏|小長谷造]]・[[伊予国造]]・[[金刺氏|金刺舎人]]・[[石城国造]]・[[丹羽氏|丹羽臣]]・[[茨田連]]・嶋田臣等がいた。
 
現在、多氏の[[氏神]]社である[[多坐弥志理都比古神社]]([[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]])を始め、[[伊達神社 (和歌山市)|伊達神社]]([[和歌山県]][[和歌山市]])・嶋田神社([[奈良県]][[奈良市]])等の[[式内社]]に祀られる。なお、「神」が「醸む(かむ)」に通じることから、酒好きな神として祀る神社もある。