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藩史
天和2年(1682年)2月22日、遠州横須賀藩5万石の藩主であった本多利長は、一族で播磨明石藩6万石の藩主であった本多政利の改易に連座して改易されてしまった。その後、政利が陸奥岩瀬藩1万石の藩主として復帰を許されると、利長も新たに1万石を与えられて村山藩を立藩した。
利長は元禄5年(1692年)12月に死去し、後を養嗣子の本多助芳が継いだ。その助芳は元禄12年(1699年)6月に越後糸魚川藩に移封され、ここに村山藩は廃藩となった。
村山藩はわずか17年の短期間の藩であるため、藩政や藩庁の場所においては不明な点が多い。
歴代藩主
本多(ほんだ)家
譜代。1万石。(1682年-1699年)