「大竹正博」の版間の差分

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大竹の父は[[中央競馬]]の元[[騎手]]・[[大崎昭一]]である。[[1985年]]に大崎は[[八百長]]を行ったという疑いをかけられ、無期限の[[騎乗停止]]処分を受けた。最終的に八百長行為は認められないという結論が下され騎乗停止処分は解除されたものの、騒動の影響で[[栗東トレーニングセンター|栗東]]の一部の厩舎をのぞきほとんどの[[厩舎]]から騎乗依頼が来なくなるなど大崎の騎手生活は大きく狂わされることとなった([[大崎昭一#新潟事件|新潟事件]])。事件の影響から大竹は競馬によい印象を抱いておらず、当初は[[獣医師]]を志していたが、[[1992年]]に大崎が[[レッツゴーターキン]]に騎乗して[[天皇賞|天皇賞(秋)]]を優勝したことをきっかけに中央競馬で働くことを考えるようになった<ref>[[#井口1997|井口1997]]、220頁。</ref>。
 
[[麻布大学]][[獣医学部]]を卒業後、北海道の牧場での勤務を経て[[競馬学校]]の厩務員課程に合格。[[1997年]]に中央競馬の[[調教助手]]となった。大竹は中央競馬の[[調教師]]になることが父の敵をとることになると考えており、当初から調教師になることを志していた<ref>[[#『競馬最強の法則』2009年8月号|『競馬最強の法則』2009年8月号]]、6頁。</ref>。[[2008年]]に調教師免許を取得し、[[2009年]]に[[美浦トレーニングセンター]]に厩舎を開業した。
 
なお、調教師試験受験時に過去の経緯もあり、姓を母方の「大竹」にすると同時に、父・昭一と話し合いの末、お互い疎遠にすることにしたという。