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**「伊藤とは、俺は小僧の時からの知り合いだから、まあよく知って居るほうぢゃろう。あれはなかなか豪い奴だよ。井上がいう様に、伊藤の頭脳はあくまで組織的だ。それに欲がない。金の点に於いては大隈、伊藤は全く綺麗なものぢゃ。しかしな、欲といっても金ばかりが欲ぢゃないからのう。欲といえば、それは名誉さ。全く名誉の点に至っちゃ、伊藤は三つ四つの子供だよ。(中略)どうもその名誉欲は非常のものだった」<ref>『観樹将軍豪快録』</ref>
**「伊藤は存外稚気があって、比較的率直だった。山縣は『俺は唯一介の武弁だ』と言った調子で、表をつまらぬもののように見せかけておった。これが二人の間の相異なる点である。ある時、郷里のものが東京に出て来て、二人の所を訪ねた。それが後にて、『山縣さんへ行くと、お取扱いが誠に親切であったが、伊藤さんは大違いで、ろくに話も聞いて下さらない』と言うから、我輩が『なるほどそれはちょっと左様見えるが、伊藤の泣く折りは、本当の涙を出すが、どうも目白(山縣)の涙は、当てにならんぜ』と言ったことだが、これは二人に対する適評だと思う」<ref>『観樹将軍縦横談』</ref>
 
*[[高崎正風]] 「誠に大久保公の言われる通り、一を聴いて十を知るの才である」<ref>『伊藤候井上伯山縣候元勲談』</ref>
 
* [[牧野伸顕]] 「伊藤さんは相手が大臣だろうが、書記官だろうが、また老人だろうが、青年だろうが、そのようなことには一切頓着なく、そういう意味で非常に親しみ易くて、誰であろうと相手の言うことを熱心に聞き、また時には言ってることが間違ってることを遠慮なく指摘するという風だった。全く坦懐な人で、満州で遭難された時は一時世の中が真暗になった気がした」<ref>『回顧録・上 P86』</ref>