「JET STREAM」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎機長・キャビンアテンダント: 城達也のピンチヒッターを田中穂蓄が務めた説について、リンク切れだった出典を更新の上、より慎重な表現に修正
58行目:
** エンディングの挨拶は「ではまた明日、午前零時に(金曜日は“ではまた来週、この時間に”)お会い致しましょう」。
** 1994年[[12月31日]](30日深夜)の最終出演回では「では皆さま、さようなら。よいお年をお迎え下さい。」と、これまで決して口にする事の無かった「さようなら」と別れの言葉を言って降板。これが城達也による最期の言葉にもなった(翌1995年2月25日に逝去)。
** 公式記録としては、放送開始から降板するまでの27年以上、7387回の間一度も休んだことがないことになっているが、実際には1,000回直前の頃に、『代打』としてエフエム東京の[[田中穂蓄|田中穂蓄アナウンサーであった[[田中穂蓄]]が担当しはその公式記録を認めつつ、放送1,000回直前の頃に、城の喉の不調により急遽ピンチヒッターを命ぜられスタジオ収録を務め事が一度だけあことを回想している<ref>{{Cite web |url= http://wwwpod.j-wave.co.jp/blog/mp_newsnewsroom/2008/09/post_3361post_3306.html |author=[[田中穂蓄]] |authorlink=田中穂蓄 |title=私のラジオデイズ48 |workwebsite=J-WAVEニュースルームblog |publisher=[[J-WAVE]] |date=2008-909-28 |accessdate=20122021-1106-16 }}</ref>。
* '''2代目''':[[小野田英一]]([[1995年]][[1月]] - [[2000年]][[3月]])
** 城は同じ芸能事務所の先輩。『[[ラジオライブラリー「新・人間革命」]]』([[文化放送]])とともに事務所の先輩から後輩へ引き継がれた形となった。