「ヒュー・グローヴナー (初代ウェストミンスター公爵)」の版間の差分

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[[1874年]][[2月27日]]に[[ウェストミンスター公爵]]に叙された。ヴィクトリア朝においては初代[[ビーコンズフィールド伯爵]][[ベンジャミン・ディズレーリ]]や第3代[[ソールズベリー侯爵]][[ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯爵)|ロバート・ガスコイン=セシル]]も公爵に叙すとの内諭を受けたが、二人は「公爵家の体面を保てる財産がない」として断っている。一方財産に余裕があるヒュー・グローヴナーは公爵位を受けた形であった{{Sfn|山田勝|1994|p=11}}。
 
当時、彼はグローヴナー家の私的財産として、[[ロンドン]]市内の[[メイフェア]]、[[ベルグラヴィア]][[ピムリコ]]を抱えるイギリス有数の資産家であった。彼は[[チェシャー]]のイートン・ホールを本宅とし、他に例のないほどの金額をかけて再建設させた。彼はまた、当時最も成功した馬主の一人でもあった。
 
[[1880年]]から[[1885年]]にかけては[[第2次グラッドストン内閣]]において{{仮リンク|主馬頭 (イギリス)|label=主馬頭|en|Master of the Horse}}を務めた<ref name="thepeerage.com"/><ref name="CP DW"/>。
 
[[1899年]][[12月22日]]に死去。爵位は孫の{{仮リンク|リチャヒュ・グローヴナー (第2代ウェストミンスター爵)|label=リチャヒュ・グローヴナー|en|RichardHugh Grosvenor, 2nd MarquessDuke of Westminster}}が継承した<ref name="CP DW"/>。
 
== 栄典 ==