アニェス・ド・フランス (ブルゴーニュ公妃)

アニェス・ド・フランスフランス語:Agnès de France, 1260年ごろ - 1327年12月19日)は、ブルゴーニュ公ロベール2世の妃。息子が若年の間の1306年から1311年まで、ブルゴーニュ公領の摂政をつとめた。

アニェス・ド・フランス
Agnès de France

出生 1260年ごろ
死去 1327年12月19日
ブルゴーニュ公国コート=ドール
埋葬 ブルゴーニュ公国、サン=ニコラ=レ=シトー、シトー修道院
配偶者 ブルゴーニュ公ロベール2世
子女 本文参照
家名 カペー家
父親 フランス王ルイ9世
母親 マルグリット・ド・プロヴァンス
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生涯 編集

アニェスはフランス王ルイ9世マルグリット・ド・プロヴァンスの末娘である[1]。アニェスは両親の11人の子供のうちの末子であった。

1279年にブルゴーニュ公ロベール2世と結婚し[2]、2人の間には8人の子供が生まれた。

1306年に夫ロベール2世が死去し、アニェスは息子ユーグが成人する1311年まで摂政をつとめた。

1327年12月にアニェスはコート=ドールで死去し、シトー修道院に葬られた。

子女 編集

脚注 編集

  1. ^ Topping 1974, p. 738.
  2. ^ Topping 1974, p. 109.

参考文献 編集

  • Topping, Peter (1974). “The Morea, 1364-1460”. In Hazard, Harry W.. A History of the Crusades. The University of Wisconsin Press