アラミス: Aramis)は、アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『三銃士』を始めとする『ダルタニャン物語』に登場する架空の人物。「アラミス」というのは世を忍ぶ仮の名前であり、作中では本人自身によって本名が明かされることはなかったが、作中で2度だけ「ルネ(René)」という名前で呼ばれる場面がある[1]。また、デルブレー卿(le chevalier d'Herblay)などとも呼ばれる。

アラミスのポートレート

概要 編集

 
Aramis

アトスポルトスとともにパリの三銃士の1人。正確な年齢は不明だが、三銃士の最年少であり、ダルタニャンより3歳ほど年上[2]。『ダルタニャン物語』はダルタニャンの戦死をもって終了するが、その時点でアラミスが死去したという記述はないので、4人の銃士の中では最後に死去したということになる。

軍人でありながら、聖職者として生きることに憧れている。比較的に家族構成などが判明し、身元が明らかなアトスらに対し、アラミスは家族関係などの情報はほとんど語られない。本人が語る話によれば、もともとは神学生だったが、女性関係のトラブルから決闘に発展し、うやむやのうちに銃士となったとのことである。そのような経緯から、『三銃士』では失恋などのたびに僧籍に入ろうとする場面がたびたびある。その一方で、性格はかなり好戦的であり、何度も決闘騒ぎを起こしている。

女性関係はかなり派手。もとを正せば、ダルタニャンと決闘騒ぎを起こしたのも女性関係のトラブルである。『三銃士』の時代はシュヴルーズ公爵夫人と恋仲であり、銃士をやめ僧籍に入った後の『二十年後』でも、ロングヴィル夫人を恋人にしていた。

銃士のなかでも、特に剣や銃の扱いなどにもかなりすぐれており、カルム・デショーでダルタニャンを加えた4人とリシュリューの親衛隊5人が決闘した際には、アラミスは1人で2人を相手にし、そつなく勝利を収め、シャラントンの戦いではシャティヨン公を銃で打ち破る活躍をした。しかし、後年の『ブラジュロンヌ子爵』の時点(1660年頃)では、ポルトスやダルタニャンらは相変わらず優れた武芸の腕を披露しているのに対し、アラミスは痛風などを煩った結果、頭脳労働に終止することになった。

政治的には、若い頃は国王派であった。しかし強い野心を持つ余り、中年期の『二十年後』の頃にはフロンド派に入り、国王派のダルタニャンとの対立が生まれている。そして老年期の『ブラジェロンヌ子爵』では、ヴァンヌの司教となる。さらにイエズス会の管区長となり、財務大臣ニコラ・フーケの懐刀として、ルイ14世およびコルベールと敵対するなど、完全にフランス国王に反旗を翻していた。

1661年、鉄仮面事件の陰謀を画策して国王すり替えを企てるが失敗。スペイン亡命する。しかし、1668年にはアラメダ公爵と名を変え、スペインの使者としてフランスに来訪。ダルタニャンと再会を果たし、かつて煮え湯を飲ませたルイ14世からも手厚い歓待を受けている。

モデル 編集

アラミスには実在のモデルとして、アンリ・ダラミツ(Henri d'Aramitz)という人物がいる。銃士隊長・トレヴィルの甥であったので、コネをたどって銃士隊に入る。ただ、軍人として特に目立つ功績は立てていない。

備考 編集

1987年に放送された日本のテレビアニメ『アニメ三銃士』は『三銃士』の翻案作品であるが、彼について大幅な変更が加えられており、男装の麗人であるという設定にされた。さらにはアラミスを主人公にした外伝までが制作されている。

1964年にデパートで販売された「Aramis」は最初の高級男性用フレグランスです。このブランドは、男性用フレグランスおよびグルーミング分野の業界リーダーとして、エスティ ローダー カンパニーズの決定的な柱であり続けています。

また、メンズカジュアルウェアを扱う「株式会社アラミス」などは、デュマの小説に登場するアラミスからとられている[3]

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 『二十年後 我は王軍、友は叛軍』第11章で女性から「ルネ」と、『ブラジュロンヌ子爵 将軍と二つの影』第17章でバザンが「ルネ猊下」と呼んでいる。
  2. ^ ただし、中年期以降はサロンなどでサバを読んでいたらしく、『二十年後』の時点(1648年)で、「もうじき37歳になる」と発言していた。これにはダルタニャンも呆れてしまい、「むかしは僕の方が2つ3つ年下だった。今やその僕が40歳になったんだけどもね」と突っ込みを入れるシーンが存在する『二十年後 我は王軍、友は叛軍』(第10章)
  3. ^ 会社名の語源