ボーリュー=シュル=メール

フランスのコミューン

ボーリュー=シュル=メール (Beaulieu-sur-Mer)は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県コミューン

Beaulieu-sur-Mer

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
(département) アルプ=マリティーム県
(arrondissement) ニース郡
小郡 (canton) ヴィルフランシュ=シュル=メール小郡
INSEEコード 06310
郵便番号 06011
市長任期 ロジェ・ルー
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) メトロポール・ニース・コート・ダジュール
人口動態
人口 3 742人
2008年
人口密度 4 067人/km2
住民の呼称 Berlugans
地理
座標 北緯43度42分18秒 東経7度19分48秒 / 北緯43.705度 東経7.33度 / 43.705; 7.33座標: 北緯43度42分18秒 東経7度19分48秒 / 北緯43.705度 東経7.33度 / 43.705; 7.33
標高 平均:m
最低:0 m
最高:189 m
面積 13.04km2 (1 304ha)
Beaulieu-sur-Merの位置(フランス内)
Beaulieu-sur-Mer
Beaulieu-sur-Mer
公式サイト www.beaulieusurmer.fr
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地理 編集

ボーリュー=シュル=メールは、ニースモナコに挟まれたコート・ダジュールに位置し、県道D6098(fr)途上の地中海に面した一画を占める。ボーリュー=シュル=メールはフェラ岬の東側にある。ヴィルフランシュ=シュル=メールサン=ジャン=カップ=フェラエズと接している。

経済 編集

ボーリュー=シュル=メールは、ヴィルフランシュ=シュル=メール、サン=ジャン=カップ=フェラとともに『黄金の三角地帯』と呼ばれ、フランスで最も不動産価格が高いコート・ダジュールの一部である。

交通 編集

  • 道路 - トゥーロンマントン間を走る幹線道路D98。
  • バス
  • 鉄道 - TERプロヴァンス・アルプ・コートダジュールの駅あり。

歴史 編集

 
ヴィッラ・ケリロス

古代から人が定住していたことがわかっているが、ボーリュー=シュル=メールが脚光を浴び始めたのは19世紀からである。ニースから道路と鉄道でつながったボーリュー=シュル=メールには、王族やセレブリティーたちが冬のリゾート地として滞在するようになった。第一次世界大戦中にその役割は停止するものの、以後ボーリュー=シュル=メールは観光地として定着した。

1990年代後半から観光と経済の衰退が始まった。ホテルのいくつかはアパルトマンに転換され、また一部のホテルは住宅建設のため取り壊された。不動産価格の上昇が主たる原因となって、これらの動きはコミューン当局によって阻止されることはなかった。

2005年以降、海岸沿いにある有名なオテル・メトロポール・エ・エッフェルがロシアの実業家によって買収された。オテル・メトロポール解体の最初の動きは2008年に失敗した[1]

2010年、壁が自治体の財産となっているカジノの清算が確定した[2]。カジノは買い手がつかず再建中のため閉鎖されている。

人口統計 編集

1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年
4 050 4 273 4 302 4 013 3 675 3 742

史跡 編集

  • ヴィッラ・ケリロス - 1908年に完成した別荘で、古代ギリシャ建築を真似てつくられた。岬の突端に建つ。最初の所有者は政治家テオドール・レナック。1928年にレナックが死去すると、フランス学士院に寄贈された。
  • 旧オテル・ブリストル - 1898年に完成した美しい六階建てのホテル。
  • ヴィッラ・ド・メ - ガエタン・ド・メが1826年に建てた。1967年にコミューンが買収。現在は歴史考古学博物館。
  • パレ・デザングレ - オテル・デザングレとして1885年完成。鉄道駅に面しており、コミューン最古のホテルの1つで、欧州の貴族たちを冬期に迎え入れていた。1939年にアパルトマンに改造された。

姉妹都市 編集

脚注 編集