ムーランMoulins)は、フランス中央部、アリエ川の東岸、パリの南南東292kmに位置するオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏の都市で、アリエ県の県庁所在地である。

ムーラン
Moulins


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) アリエ県
(県庁所在地)
(arrondissement) ムーラン郡
(郡庁所在地)
小郡 (canton) 2
INSEEコード 03190
郵便番号 03000
市長任期 ピエール=アンドレ・ペリソル
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération de Moulins
人口動態
人口 18 959人
2012年
人口密度 2 202人/km2
住民の呼称 Moulinoise, Moulinois[1]
地理
座標 北緯46度33分55秒 東経3度20分00秒 / 北緯46.56527度 東経3.333333度 / 46.56527; 3.333333座標: 北緯46度33分55秒 東経3度20分00秒 / 北緯46.56527度 東経3.333333度 / 46.56527; 3.333333
標高 平均:220 m
最低:202m
最高:240 m
面積 8,61km2 (861ha)
ムーラン Moulinsの位置(フランス内)
ムーラン Moulins
ムーラン
Moulins
公式サイト http://www.ville-moulins.fr/
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概要 編集

ムーランの地名はアリエ川沿岸に点在する風車小屋(フランス語:moulin)に由来するとされる。1327年、端麗王シャルル4世ブルボネー(Bourbonnais)地方を公爵領としたのを受けて、ルイ1世が最初のブルボン公となり、その首都がムーランにおかれた。

15世紀末、ピエール2世がブルボネー、ボジョレー、フォレ、オーヴェルニュの各地方をその支配下におくと、ムーランはその文化および芸術において黄金期を迎えた。しかし、ヴァロワ朝の国王フランソワ1世ブルボン家の繁栄を妬み、ピエール2世の義理の息子であるシャルル3世を攻め、1532年にブルボン公領はフランス王家に没収される。

1540年10月16日ナバラ女王ジャンヌ・ダルブレヴァンドーム公アントワーヌ・ド・ブルボンの結婚式がムーラン城内のチャペルで行なわれた。彼らの間に生まれたのが、1589年ブルボン朝最初の国王となったアンリ4世である。

城館遺構の他、15世紀の職人の手による祭壇画や、ステンド・グラスで知られるノートル・ダム大聖堂など、歴史的な文化遺産が数多く残っている。

主な産業としては皮革加工、機械、電気機器などがある。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
23 909 25 979 26 067 25 159 22 799 21 892 20 599 18 959

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]

姉妹都市 編集

出身者 編集

脚注 編集

外部リンク 編集