ロアンRohanブルトン語:Roc’han[1])は、フランスブルターニュ地域圏モルビアン県コミューン

Rohan


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) モルビアン県
(arrondissement) ポンティヴィ郡
小郡 (canton) グラン=シャン小郡
INSEEコード 56198
郵便番号 56580
市長任期 ベルナール・ニザン
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Pontivy communauté
人口動態
人口 1 683人
2014年
人口密度 72人/km2
住民の呼称 Rohannais, Rohannaise
地理
座標 北緯48度04分09秒 西経2度45分06秒 / 北緯48.0691666667度 西経2.75166666667度 / 48.0691666667; -2.75166666667座標: 北緯48度04分09秒 西経2度45分06秒 / 北緯48.0691666667度 西経2.75166666667度 / 48.0691666667; -2.75166666667
標高 平均:110 m
最低:60 m
最高:150 m
面積 23.43km2 (2 343ha)
Rohanの位置(フランス内)
Rohan
Rohan
公式サイト Rohan site officiel
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地理 編集

 
20世紀初頭のロアン

コミューンはウスト川およびナント・ア・ブレスト運河の岸にある。ジョスランの上流にあり、台地の端に位置している。

歴史 編集

ロアンは、ポルオエ子爵時代のロアン家発祥の地である。時期はレンヌからポルオエが独立する以前の11世紀である。1120年、領主権はポルオエのジョフロワとアランが共有するかたちで誕生した。次いで、ウスト川右岸に城が建設された。オリヴィエ・ド・クリッソンの娘ベアトリクスはロアン家のアラン8世の妻であり、一族にはコネタブル(fr)の地位がもたらす巨万の富が与えられた。

1604年、アンリ4世は親愛なる友、そして友軍を指揮するアンリ2世・ド・ロアンを公爵および上級貴族とした。ロアン家の領地の本拠地は、彼の曽祖父ジャン2世・ド・ロアンが建てたポンティヴィ城に置かれた。

人口統計 編集

 
人口グラフ
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
525 562 1746 1707 1604 1521 1570 1683

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]

脚注 編集