巡航戦車 Mk.III(A13)Tank, Cruiser Mk.III(A13))は、第二次世界大戦中にイギリス陸軍が使用した巡航戦車である。

巡航戦車 Mk.III(A13)
性能諸元
全長 6.02 m
全幅 2.54 m
全高 2.59 m
重量 14.2 t
懸架方式 クリスティー式、コイルスプリング
速度 48 km/h
行動距離 145 km
主砲 QF 2ポンド砲(40mm)×1
(搭載数87発)
副武装 .303 ヴィッカース機関銃×1
(搭載数3,750発)
装甲 6-14mm
エンジン ナッフィールド「リバティ」V12 ガソリン
340 馬力
乗員 4 名
(車長、砲手、装填手、操縦手)
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イギリスが大戦を通して使用したクリスティー型の巡航戦車の最初のタイプで、大戦直前に65輌が生産され、主に大戦初期に使用された。

開発と生産 編集

1936年、イギリス陸軍は、主力となる中戦車を軽装甲・高速の巡航戦車、重装甲・低速の歩兵戦車の2種に分けて開発を行うとの決定を下した。当時すでに開発が進められていた中戦車A9が巡航戦車 Mk.Iとして採用されたが、これに使われたスローモーション・タイプのサスペンションは、安定性は高いものの高速走行には向かないものであった。

一方、1936年9月にソビエト連邦軍(赤軍)の秋期演習を見学したウェーベル将軍とマーテル大佐は、アメリカクリスティー式戦車をもとに開発された快速戦車BTに強い感銘を受け、その結果、イギリスでもクリスティー戦車の導入が図られることとなった。イギリスは、モーリス社が受け皿となってクリスティー戦車M1932を購入するとともにクリスティー本人を技術指導に招き、その改良型の開発が進められた。

ソ連のBT戦車が、特にその最初期はほぼクリスティーの設計そのままだったのに対し、モーリス社が開発したA13は車体が拡大され、巡航戦車 Mk.I とほぼ同型の3人用砲塔が搭載されるとともに、煩雑な装輪走行機能は廃止された。生産はモーリス社傘下のナフィールド社(Nuffield Mechanisation and Aero Ltd)が担当、オリジナルのクリスティー戦車にも搭載されていたリバティー・エンジンも、同社でライセンス生産が行われた。

試作車は1937年中にテストが行われ、1938年末もしくは1939年1月には量産1号車が完成、1939年夏までに発注分65両すべてが完成した。

 
フランスカレーにて撃破されたMk.III(第一機甲師団所属、1940年5月31日)

もともと、装甲防御力を犠牲にして高速性能を追求した巡航戦車 Mk.III だが、それでも最大装甲厚14mmはあまりに薄く、1939年初めには巡航戦車の最大装甲厚を30mmに引き上げる訓令が出された。このため、装甲を強化した改良型A13 Mk.II(巡航戦車 Mk.IV)が作られ採用された。一部の巡航戦車 Mk.IIIは、後にMk.IV仕様に改修された。

戦歴 編集

第二次世界大戦勃発当時、巡航戦車 Mk.III は Mk.I、IIIV とともに巡航戦車の主力であり、フランスへ送られたイギリス海外派遣軍(BEF)の第一機甲師団に配備された。

1940年ドイツ軍のフランス侵攻に伴い戦闘に投入され、大きな損害を受けた。わずかに残った車両は、その後、ギリシャ戦線北アフリカ戦線でも使用された。

登場作品 編集

War Thunder
イギリス陸軍軽戦車として登場。また、第3王室連隊仕様も登場。
World of Tanks
イギリス軽戦車Cruiser Mk. IIIとして登場。
トータル・タンク・シミュレーター
英国の初期車両、軽戦車MK.IIIとして登場。

参考文献 編集

  • 宗像和広(主著)、「第二次世界大戦のイギリス・アメリカ軍戦車」、戦車マガジン1992年7月号別冊、デルタ出版
  • 大村晴、「第2次大戦のイギリス軍用車両」、グランドパワー1995年11月号、デルタ出版

関連項目 編集