躁公(そうこう)は、の第18代公。厲共公の子。

躁公
第18代公
王朝
在位期間 前442年 - 前429年
都城 雍城
諡号 躁公
生年 不詳
没年 躁公14年(前429年
厲共公
陵墓 丘里(悼公陵南)

生涯 編集

厲共公34年(紀元前443年)、厲共公が薨去すると、後を継いで秦公となった。

躁公2年(紀元前441年)、南鄭[1]が叛いた。

躁公13年(紀元前430年)、義渠(ぎきょ)[2]渭水の北まで来攻した。

躁公14年(紀元前429年)、薨去し、弟の懐公が立って秦公となった。

脚注 編集

  1. ^ 現在の陝西省漢中市南鄭区
  2. ^ (じゅう)の一種。

参考資料 編集

  • 史記』(秦本紀第五)