顕州(顯州、けんしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から初にかけて、現在の河南省南部に設置された。

魏晋南北朝時代 編集

太和年間に北魏により設置された東荊州を前身とする。554年廃帝3年)、西魏により東荊州は淮州と改称された。

隋代 編集

隋初には、淮州は下部に2郡3県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、淮州の属郡は廃止された。585年(開皇5年)、淮州は顕州と改称された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、顕州は淮安郡と改称され、下部に7県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
淮州 殷州 純州 広州 豫州 鄭州
潘州
溱州
- 淮安郡
江夏郡 真昌郡 城陽郡 上川郡 大義郡 漢広郡 襄邑郡 舞陰郡 期城郡 初安郡 - 周康郡 - 比陽県
慈丘県
桐柏県
平氏県
真昌県
顕岡県
臨舞県
江夏県
陽平県
比陽県 城陽県 義郷県
淮南県
- 平氏県 北平県 舞陰県 臨舞県
東舞陽県
昭越県 - - 上蔡県
青山県
震山県

唐代 編集

621年武徳4年)、唐により淮安郡は顕州と改められた。顕州は比陽・慈丘・平氏・顕岡の4県を管轄した。635年貞観9年)、顕州は唐州と改称された[2]

脚注 編集

  1. ^ 隋書』地理志中
  2. ^ 旧唐書』地理志二

関連項目 編集