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- 芝 祐泰(しば すけひろ、1898年3月19日 - 1982年10月10日)は、雅楽師、日本芸術院会員。東京府出身。古代以来の宮廷雅楽師狛氏の一族で、鎌倉時代の芝真葛より分かれた。父は芝祐夏(1859-1928)、長男は芝祐久、三男が芸術院会員の芝祐靖。 1921年:宮内省雅楽練習所を卒業。 1923年:東洋音楽学校講師に就任。…3キロバイト (256 語) - 2023年8月17日 (木) 11:42
- 日本芸術院賞・恩賜賞などが授与されており、2017年には雅楽師として史上初めて文化勲章を受章した。また、父と同じく日本芸術院会員に選任されていた。 狛氏の一族で代々続く雅楽師の家柄。祖父・芝祐夏の代から宮内庁楽部で楽師を務める。自身も10歳から横笛や琵琶などを習う。雅楽に仕える一方で、オーケストラ作…10キロバイト (1,024 語) - 2023年12月21日 (木) 17:38
- 安慧(あんえ、延暦13年(794年)- 貞観10年4月3日(868年5月2日))は、平安時代前期の天台宗の僧。俗姓は大狛氏。河内国大県郡の出身。 幼少のころに下野国小野寺山大慈寺の広智(こうち)に師事して出家、ついで比叡山に登って最澄・円仁について顕教・密教を学んだ。遮那業学生(密教専攻の学僧)とし…2キロバイト (197 語) - 2024年6月10日 (月) 23:25
- 高句麗国夫連王(福貴君の子)の末裔を称し、狛氏(狛造)の一派が山城国相楽郡から陸奥へ至り百姓となり、承和10年(843年)に陸奥安達連(みちのくのあだちのむらじ)を朝廷より与えられた事に起こる氏族。家祖は狛造子押麻呂 續日本後紀/卷第十三に承和一〇年(843年)一一月一六日…15キロバイト (1,814 語) - 2024年6月19日 (水) 13:43
- 高麗氏(こまうじ、こまし)は、日本の氏族のひとつ。「狛」や「巨萬」とも表記されることがあった。 高句麗王族と高句麗国の人を祖先とする渡来系氏族である。姓(カバネ)は王、使主、朝臣。 668年の王族を含む多数の高句麗人が日本に亡命している。また、それ以前から高句麗から日本列島に移住し定着した人々も存…6キロバイト (621 語) - 2023年5月24日 (水) 09:49
- 狛 近真(こま の ちかざね、治承元年〈1177年〉 - 仁治3年1月25日〈1242年2月26日〉)は、鎌倉時代の雅楽家。興福寺所属。代々左方の舞を担当した狛氏の出身。父は不明。母青蓮尼は狛光近の姉ないし娘と伝わる。1209年(承元3年)に左衛門少志、1218年(建保6年)左近将監、1241年(仁治2年)従五位上に叙された。…3キロバイト (493 語) - 2021年11月9日 (火) 10:01
- また、三輪引田君氏の本拠地である秉田神社(大和国木上郡引田郷)から初瀬川 (奈良県)を挟んだ対岸には狛という地名があること、『新撰姓氏録』には「狛人野 大物主命子櫛日方命之後也」・「神人 高麗国人許利都之後也」と見えること、三輪氏は陶邑の須恵器を作成する工人を配下に置き、…10キロバイト (1,380 語) - 2024年5月24日 (金) 07:18
- 大狛 百枝(おおこま の ももえ)は、飛鳥時代の人物。姓は造のち連。冠位は贈直広肆。 大狛氏は高句麗系渡来氏族で、高句麗の溢士福貴君を祖とするものと、高句麗人の伊利斯沙礼斯を祖とするもの、の二流がある。なお、福貴君を第22代王安臧王の子とする系図がある。 天武天皇10年(681年)4月12日に、大狛…2キロバイト (247 語) - 2021年5月12日 (水) 21:29
- 福井藩 (カテゴリ 結城氏)本多修理家(本多富正の次男正房が初代。本多敬義等。) 本多源四郎家(修理家分家) 酒井外記家(酒井重成が初代) 酒井孫四郎家 狛山城家(狛孝澄が初代。北狛。墓所は福井市木田の通安寺) 狛帯刀家(山城家狛貞澄の長男狛政貞が1600石で分家。南狛。墓所同上) 芦田信濃家(初代は加藤康寛(依田康勝))…19キロバイト (2,977 語) - 2024年6月24日 (月) 19:31
- 物品の適正価格を調査する伴部。 蔵部…六十人 物品出納事務を行う伴部。 典革…(正八位上相当)一人 革の染め作りを監督 狛部・狛戸とともに806年(大同元年)内蔵寮に移管、のちに廃止。 狛部…六人 革の染め作りをする伴部。 狛戸 革の染め作りをする品部。 典履…(正八位上相当)二人…6キロバイト (885 語) - 2024年5月3日 (金) 10:18
- 安芸広島藩主一門・浅野懋昭の3男。 ^ 正弘の6女で、越後糸魚川藩主・越前松平茂昭の養女。 ^ 紀州徳川家一門・紀州松平頼興の子。先々代・正由の甥。 ^ 旧越前福井藩家老(士族)・狛孝政の子、離籍後、分家(旧旗本)の家督を相続。 ^ 三河吉田藩主・大河内松平信明の14男。 ^ 肥前大村藩主・大村純昌の5男。 ^ a b 小田部雄次…17キロバイト (1,223 語) - 2023年9月3日 (日) 01:44
- 家継(かつら/かずら の いえつぐ、生没年不詳)は、平安時代初期の官人。姓は連。官位は外従五位下・越中権介。 縵氏(縵連)はかつらの製作を担当した縵部の伴造氏族で、百済系渡来氏族の狛氏を出自とする。 嵯峨朝の大同5年(810年)正月に外従五位下に叙され、薬子の変終結後の同年10月に大膳亮に任ぜられ…2キロバイト (206 語) - 2022年1月23日 (日) 03:38
- 長背 広足(ながせ の ひろたり、生没年不詳)は、奈良時代中期から後期にかけての官人。氏は長瀬とも記される。氏姓は狛連のち長背連。外正六位下・狛文麻呂の子とする系図がある。官位は外従五位下・西市正。 狛氏は高句麗第23代国王安原王の後裔を称する高句麗系渡来氏族。欽明天皇26年(565年)高句麗より…5キロバイト (873 語) - 2022年10月10日 (月) 05:16
- 陸奥圓明流外伝 修羅の刻 (カテゴリ 柳生氏を題材とした作品)金ヶ崎の退き口では、殿軍となった木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に狛彦と虎彦が策を授けると共に助力を行った。 浅井氏・朝倉氏・石山本願寺・甲斐の武田信玄らに信長包囲網を破れずにいる中、武田信玄が動き出す。信長はこれに対する為、狛彦と虎彦に武田信玄と雑賀孫一を討ち取る事を依頼する。狛彦と虎彦は共に「つわもの」である孫一を討つ…110キロバイト (18,175 語) - 2024年6月23日 (日) 05:43
- 十六戸)、鼓吹司の鼓吹戸(大角吹)二百十八戸、主船司の船戸(船守戸)百戸、主鷹司の鷹戸(鷹養戸)十七戸、大蔵省の狛戸(忍海戸狛人五戸・竹志戸狛人七戸・村々狛人三十戸、宮郡狛人十四戸・大狛染六戸・衣染二十一戸・飛鳥沓縫十二戸・呉床作二戸・蓋縫十一戸・大笠縫三十三戸・鞍作七十二戸)、漆部司の漆部(漆部…20キロバイト (3,447 語) - 2024年4月6日 (土) 07:48
- もんじょ)とは、山城国相楽郡西法花野村(現・京都府木津川市山城町上狛)の浅田家(戸籍上では淺田)に伝来した古文書(18,120点)。 西法花野村庄屋文書、狛四ケ村文書、野日代村庄屋文書、狛組(加茂組)大庄屋文書、近代地方行政・諸役職関係文書、浅田家・家文書、大和郡山茶町文書、岡崎村文書、下島村文書、相楽村河辺善右衛門関…25キロバイト (4,276 語) - 2023年11月14日 (火) 13:22
- が、関晃による上代特殊仮名遣の研究により、「駒」のコは甲類、「高麗」のコは乙類で、乙類の「巨」に一致する「高麗説」が妥当であり、高句麗系渡来氏族大狛連(狛造)の本貫地である河内国大県郡巨麻郷や若江郡巨麻郷に「巨麻」が当てられている事から、巨麻は高句麗(高麗)を意味すると考えられている。しかしながら「…13キロバイト (2,025 語) - 2024年4月30日 (火) 21:28
- 恭仁京が造営され、短期間ながら都とされている。 『和名類聚抄』に記される郡内の郷。括弧内は訓読み。 相楽郷(佐加良加) 水泉郷(以豆美) 賀茂郷 大狛郷 蟹幡郷(加無波多) 祝園郷(波布曽乃) 下狛郷(之毛都古末) 『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初…23キロバイト (1,972 語) - 2024年5月21日 (火) 11:02
- 狛 光高(こま の みつたか)は、平安時代後期の貴族・舞人。 近衛府生・狛真行の子。官位は従五位上・左近衛将監。 狛氏(狛造)は、『新撰姓氏録』によれば「出自高麗国主夫連王也」とされ、また『楽家録』では「高麗国主夫連王の末裔」、『新撰楽道類聚大全』では「高麗国人・滋井国叶の末裔」とされる。ただし後世狛氏の人間は小野氏の末裔を自称した。…3キロバイト (317 語) - 2024年4月11日 (木) 13:54
- 神使とされる動物には、以下のようなものがある。 臥牛像(太宰府市・太宰府天満宮) 狛猪(和気町・和気神社) 臥牛像(大阪府藤井寺市・道明寺天満宮) 阿吽の虎(京都市・鞍馬寺) 稲荷像(京都市・伏見稲荷大社) 狛うさぎ(京都市・岡崎神社) 鹿の像(東大阪市・枚岡神社) 八咫烏のポスト(田辺市・熊野本宮大社)…6キロバイト (523 語) - 2024年2月22日 (木) 14:39
- 1056 娘子らが続麻(うみを)懸くちふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ 1057 鹿背の山木立を繁み朝さらず来鳴き響もす鴬の声 1058 狛山に鳴く霍公鳥(ほととぎす)泉川渡りを遠みここに通はず 春日(はるのころ)、三香原(みかのはら)の都の荒墟(あれたる)を悲傷(かな)しみよめる歌一首、また短歌