大狛 百枝(おおこま の ももえ[1])は、飛鳥時代の人物。のち冠位直広肆。

 
大狛百枝
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 持統天皇10年5月13日?(696年6月18日)?
官位 直広肆
主君 天武天皇持統天皇
氏族 大狛
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出自 編集

大狛氏は高句麗渡来氏族で、高句麗の溢士福貴君を祖とするものと、高句麗人の伊利斯沙礼斯を祖とするもの[2]、の二流がある。なお、福貴君を第22代王安臧王の子とする系図がある[3]

経歴 編集

天武天皇10年(681年)4月12日に、大狛造百枝・足坏ら14人は連の姓を賜与された。

持統天皇10年(696年)5月13日に、大狛連百枝は直広肆の位と賻物(葬儀の際の贈り物)を贈られた。この日か直前に没したと考えられる。『日本書紀』中に現れるこの種の贈位は、決まって壬申の年の功に対してなされていることから、百枝も壬申の乱において大海人皇子(天武天皇)側に加わって功を立てた可能性がある。

脚注 編集

  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「おほこまのももえ」
  2. ^ 『新撰姓氏録』河内諸蕃
  3. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻9,高麗百済、巻10,別記(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)