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  • 山田屋のサムネイル
    株式会社山田屋(やまだや)は1867年(慶応3年)に現在の愛媛県西予市宇和町卯之町に創業した製菓業者である。1988年には株式会社として改組した。「山田屋まんじゅう」のブランドとして、創業以来、一子相伝の製法を守り続けている。 本店は西予市。本社・工場は1990年に松山市堀江地区に移転したが、現在…
    4キロバイト (278 語) - 2024年3月12日 (火) 07:23
  • 山田屋アタック(後の株式会社毛利興産)についても記述する。 食品・菓子・飲料・酒類・ペットフード・雑貨等を中心とした小売業の他に、関東近県の一般小売業者や飲食店向けの外販事業を手がけている。以前は株式会社山田屋アタックが運営していた。 しかし、山田屋
    7キロバイト (701 語) - 2024年5月7日 (火) 20:02
  • 山田屋 庄次郎(やまだや しょうじろう、生没年不詳)は、江戸時代末期から明治時代にかけて江戸の地本問屋。 錦樹堂、錦橋堂、山庄と号す 。文化から明治にかけて菊川英山、歌川広重、歌川芳虎、豊原国周の錦絵を出版している。始め中橋広小路伝兵衛店で、後に安政以降、南小伝馬町2丁目家持で営業している。 菊川英山…
    2キロバイト (261 語) - 2019年5月13日 (月) 09:20
  • ラーメン二郎のサムネイル
    ラーメン二郎 (山田拓美からのリダイレクト)
    同本店の店主・創業者である山田拓美の登録商標である。 創業は1968年で、東京都目黒区の東急東横線・都立大学駅近くに当初『ラーメン次郎』の名前で開店した。これは開店前年の1967年1月にエースコックから発売されて人気となっていたインスタントラーメン『ラーメン太郎』を捩ったものとされている。 創業者の山田
    44キロバイト (6,199 語) - 2024年6月13日 (木) 07:48
  • 山田屋権兵衛のサムネイル
    山田屋 権兵衛(やまだや ごんべえ)は江戸時代より約400年、代々市谷甲良屋敷(現市谷柳町25番地)で米、味噌、麹の製造、販売を生業とした一族。 初代は甚右衛門と称し、元禄13年(1700)に甲良氏がこの地を拝領する以前の寛永18(1641)年から地守を務めており、以前の所有者であった前田家清泰院…
    2キロバイト (385 語) - 2023年4月25日 (火) 08:15
  • ウィキソースに浮世の有様の原文「能勢一揆乱妨の模様」があります。 山田屋 大助(やまだや だいすけ、寛政2年(1790年) - 天保8年7月5日(1837年8月5日))は、江戸時代後期の一揆指導者。 摂津能勢郡山田村の出身の人物。のち大坂に移り、西横堀斉藤町(現:大阪市西区)で薬種商を営む傍ら武術を教える。…
    2キロバイト (329 語) - 2024年3月25日 (月) 22:35
  • 山田屋 三四郎(やまだや さんしろう、生没年不詳)は江戸時代の江戸の地本問屋。 山林堂と号す。中野氏。元禄から文化期に江戸の芝神明表御門前利助店で営業している。勝川春扇を売り出した版元として知られる。また喜多川歌麿、勝川春潮、歌川豊広、歌川豊国らの錦絵を出版している。 喜多川歌麿 『青楼遊君合鏡』…
    1キロバイト (209 語) - 2021年3月17日 (水) 11:50
  • 山田屋 庄兵衛(やまだや しょうべえ、生没年不詳)とは江戸時代の江戸にあった地本問屋である。 錦橋堂と号す。文政から嘉永年間にかけて江戸の中橋広小路において地本問屋を営業している。文政7年(1824年)に刊行された『江戸買物独案内』に錦絵・草紙問屋として名前が掲載されている。山田屋
    1キロバイト (210 語) - 2019年5月12日 (日) 07:42
  • 山田屋庄次郎 - 江戸時代末期から明治時代にかけての地本問屋。 山田屋庄兵衛 - 江戸時代の地本問屋。 山田 (曖昧さ回避) やまだ - 広島県廿日市市の製菓業者。 タイトルに「山田屋」を含むページの一覧 「山田屋」で始まるページの一覧 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能…
    697バイト (168 語) - 2021年6月25日 (金) 15:37