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  • 木曽 (木曾からのリダイレクト)
    木曽(きそ)または木曾(きそ) 常用漢字では「木曽」と表記されるが、正字体で「木曾」と表記されることもある。 能の演目。四番目物の侍物。木曽 (能)を参照。 地名 木曽郡、木曽地域、木曽広域連合 - 長野県の上松町・木曽町・南木曽町・王滝村・大桑村・木祖村からなる郡および地域名称。 木曽町 -…
    3キロバイト (457 語) - 2023年6月21日 (水) 10:18
  • 木曾義光(家信の子) 木曾正行(家信の子) 木曾政春(家信の子) 木曾家豊(家賢の子) 木曾家範(家豊の弟) 木曾家益(家豊の弟) 木曾家盛(家豊の弟) 木曾義元(家豊の子) 木曾義勝(義元の弟、熱川氏祖) 木曾義在(義元の子) 木曾玉林(義在の弟、諱は不詳。古畑氏祖) 木曾義康(義在の子) 木曾義昌(義康の子)…
    40キロバイト (5,145 語) - 2024年3月27日 (水) 07:00
  • 源義仲のサムネイル
    源義仲 (木曾義仲からのリダイレクト)
    源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。…
    43キロバイト (7,106 語) - 2024年4月14日 (日) 16:22
  • 木曾義昌のサムネイル
    木曾 義昌(きそ よしまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。信濃国木曾谷の領主木曾氏の第19代当主。幼名は宗太郎。左馬頭、伊予守。木曾義康の長子。弟に上松義豊。正室は武田信玄の娘・真竜院(真理姫)。子に千太郎、義利、義春、義通、娘(毛利高政正室)などがいる。 木曾
    15キロバイト (2,279 語) - 2024年2月24日 (土) 03:09
  • 木曾 (軽巡洋艦)のサムネイル
    木曾(きそ)は、大日本帝国海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。艦名は中信地方及び東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。 1921年、長崎で竣工。竣工後はシベリア撤兵や日中戦争に参加していたが、太平洋戦争開戦後は第5艦隊所属として北方作戦に従事することとなり、1942年のミッドウェー作戦に伴うアッツ島…
    39キロバイト (6,196 語) - 2024年2月23日 (金) 16:49
  • 木曽街道 (木曾からのリダイレクト)
    木曾街道の咽首なれど』とある。また、明治新政府が編纂した古事類苑地部では『木曾街道』の項を設け、主に木曽路(木曾路)について説明している。 『橘庵漫筆』二では、木曾街道は、かつては今のように人馬の通行は殆ど無く、昔は山姥に遭遇するなど通行困難な路であり、善光寺を詣でるにも、木曾
    3キロバイト (373 語) - 2023年9月7日 (木) 18:52
  • 木曽谷のサムネイル
    木曽谷 (木曾からのリダイレクト)
    木曽谷(木曾谷、きそだに)とは、木曽川上流の流域を表す名称である。木曽川の浸食により形成されたV字谷状地形が延長約60kmにわたっており、その主線はおおむね北北東から南南西の方角に沿う。東南方面には木曽山脈(中央アルプス)が、西北方面には御嶽山系がある。現在の長野県南西部が主な地域である。地形的には…
    12キロバイト (2,136 語) - 2024年2月20日 (火) 09:31
  • 木曽町のサムネイル
    木曽町 (木曾からのリダイレクト)
    久仁男 2013年11月28日就任(3期目)。前副町長。 木曽広域連合 議員定数:12人(任期:2025年11月26日まで) 議長:千村孝男 長野家庭裁判所木曾福島出張所 木曾福島簡易裁判所 長野地方検察庁松本支部 木曾福島区検察庁 長野地方法務局 木曽支局 財務省国税庁関東信越国税局 木曽税務署 厚生労働省 長野労働局 木曽福島公共職業安定所…
    17キロバイト (1,130 語) - 2024年4月25日 (木) 07:16
  • 木曽平沢のサムネイル
    木曽平沢 (木曾平沢からのリダイレクト)
    塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区保存計画(平成17年12月1日教育委員会告示第13号) 重要漆工集団地(1949年、旧通商産業省指定) 伝統工芸品(木曾漆器、1975年、旧通商産業省指定) 重要有形民俗文化財(木曾漆器館所蔵の木曾漆器の製作用具・製品3729点、1991年、国指定)…
    7キロバイト (714 語) - 2023年7月21日 (金) 16:29
  • 木曾衆(きそしゅう、木曽衆)は、元は木曾氏の一族や家臣で関ヶ原の戦いの前哨戦の東濃の戦いを勝利に導いたため徳川家康から知行所を与えられた山村氏・千村氏・馬場氏・三尾氏・原氏のこと。 馬場氏は江戸幕府の旗本として版籍奉還に至ったが、山村氏・千村氏・三尾氏・原氏は、後に徳川家康によって尾張藩の附属に移された。…
    39キロバイト (7,465 語) - 2024年3月27日 (水) 07:01
  • 木曾 義康(きそ よしやす)は、戦国時代の武将、戦国大名。信濃国木曾谷の領主である木曾氏の当主。 天文11年(1542年)頃に家督を継承していると考えられている。天文10年代に甲斐国守護の武田晴信(信玄)は信濃侵攻を本格化し、天文22年(1553年)には北信国衆の村上義清を駆逐し東信濃・中信濃を確…
    4キロバイト (581 語) - 2023年12月30日 (土) 02:49
  • 木曽駒ヶ岳のサムネイル
    木曽駒ヶ岳 (木曾駒ヶ岳からのリダイレクト)
    木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ)は長野県上松町・木曽町・宮田村の境界にそびえる標高2,956mの山で、木曽山脈(中央アルプス)の最高峰。日本百名山、新日本百名山、花の百名山に選定されている。木曾駒ヶ岳とも表記され、また略して木曽駒と呼ばれる事もある。 駒ヶ岳の名を冠する山は日本の全国に多数あり、その最高峰である南アルプスの甲斐駒ヶ岳とこの木…
    28キロバイト (3,127 語) - 2023年11月24日 (金) 01:52
  • 木曾 基宗/義宗(きそ もとむね/よしむね、生没年不詳)は、鎌倉時代の武将。信濃木曾谷の郷土史『西筑摩郡誌』では木曾家初代当主としている人物。基宗は「大石系図」による義宗の誤記であろう。だが、義宗を木曾家初代とするのは『西筑摩郡誌』の記述のみであり、これに同族の大石氏の伝承も絡まって、諸事は不鮮明…
    2キロバイト (313 語) - 2023年7月20日 (木) 06:51
  • 木曾 家豊(きそ いえとよ、生没年不詳)は、室町時代の武将。美濃国小木曾荘の領主で木曾氏の当主。家賢の子。子に義元がいる。 文正元年(1466年)興禅寺 (長野県木曽町)に梵鐘を寄進した。 鐘銘には、 壇心離有作々 金匠到無切功 鐘聲廣大 伽藍興隆 群生睡破 利濟無窮 美濃州 慧那郡 木曾庄 萬松山…
    2キロバイト (237 語) - 2024年1月30日 (火) 06:18
  • 義基(みなもと の よしもと)は、平安時代後期の河内源氏の流れを汲む信濃源氏の武士。朝日三郎義基と号す。『木曽考』『木曽殿伝記』では源義仲の三男とし、木曾氏の祖とする。母は明治時代の『岐蘇古今沿革志』では巴御前とするが根拠に乏しい。 同時代史料や『吾妻鏡』など後世の編纂史料には記述がなく、また延慶本『…
    4キロバイト (445 語) - 2024年5月2日 (木) 15:20
  • 木曾 家村/家邨(きそ いえむら、正応5年(1292年) - 延元4年/暦応2年(1339年)頃)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。通称は又太郎。木曾家7代当主。官位は讃岐守、禅翁と号した。 木曾義仲七世孫、基宗六世孫とされ、家教の長子、大石信重の兄。太郎義親・安食野次郎家昌・三郎家景・四郎家満らの父。…
    3キロバイト (335 語) - 2023年7月20日 (木) 06:52
  • 木曾義元のサムネイル
    木曾 義元(きそ よしもと)は、戦国時代の武将、戦国大名。信濃国木曽谷を支配した木曾氏の当主。従五位下、伊予守。 木曾氏の出自は源義仲の子孫と称えた(当初は、秀郷流上野沼田氏であったとされ、義元の父の代までは「家」を通字としており、源氏風の名前である「義」を通字とするようになったのは義元の代からで…
    2キロバイト (270 語) - 2023年3月19日 (日) 05:11
  • 源義高 (清水冠者)のサムネイル
    源義高 (清水冠者) (木曾義高からのリダイレクト)
    源 義高(みなもと の よしたか)は、平安時代末期の河内源氏の流れを汲む信濃源氏の武将。清水冠者(志水冠者、しみずのかんじゃ)と号す。木曾義高とも。源義仲の嫡男。母は『尊卑分脈』では今井兼平の娘としているが、兼平は義仲と同年代の乳母子なので、義高の母は兼平の妹(中原兼遠の娘)と推定されている。…
    7キロバイト (981 語) - 2023年7月1日 (土) 09:23
  • 木曾 義利(きそ よしとし、1577年(天正5年) - 1640年(寛永17年))は、安土桃山時代、江戸時代の人物。木曾義昌の子。大名としての木曾氏の最後の当主。母は武田信玄の娘・真理姫。子に木曾義辰。兄に千太郎。弟に木曾義春と木曾義一(義通)。 幼名は岩松丸。文禄4年(1595年)、父の死により家…
    4キロバイト (619 語) - 2023年12月28日 (木) 01:36
  • 木曾三社神社のサムネイル
    木曾三社神社(きそさんじゃじんじゃ)は、群馬県渋川市北橘町下箱田にある神社である。社紋は笹竜胆。 文献によると元暦元年(1184年)、木曾義仲が滋賀県の粟津で源義経に討たれた後、その遺臣であった今井氏、高梨氏、根井氏、楯氏、町田氏、小野沢氏、萩原氏、望月氏、串渕氏、諸田氏等が、義仲と巴御前の子であ…
    13キロバイト (1,776 語) - 2024年1月26日 (金) 14:24
  • 木曾の御料林 初等科國語 五 1943年 著作者:文部省 底本『初等科國語 五』(1943年) 註: この文書ではルビが使用されています。ここでは「単語(ルビ)」の形で再現しています。一部の古いブラウザでは、ルビが正しく見えない場合があります。 ウィキペディアに神宮備林のページがあります。
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