犯禁八条
犯禁八条とは、中国殷王朝の聖人政治家箕子が朝鮮半島を征服し、箕子朝鮮を建国した際に、礼儀・農業・田作・養蚕・織機を教え、朝鮮人を教化する際に定めた八条からなる刑法[1]。
史料
編集昔箕子既適朝鮮,作八條之教以教之,無門戶之閉而民不爲盜。其後四十餘世,朝鮮侯(淮)僭號稱王。陳勝等起,天下叛秦,燕,齊,趙民避地朝鮮數萬口。燕人衛滿,魋結夷服,復來王之。
昔、箕子は朝鮮へ適き、八條の教えを作り、それを教えた。そのため門戸を閉ざさなくとも盗をしないようになった。その後四十余世、朝鮮侯準は王を称した[2]。 — 三国志、巻三十
犯禁八条の内容
編集八条の全ては伝わらないが分かっている部分は以下である[3]。
奴婢との関係
編集朝鮮の奴婢制度は、箕子朝鮮の犯禁八条に始まった。そこでは他人の家に盗み入った者はその家の奴隷とする、男なら奴、女なら婢、と定められていた[4]。李氏朝鮮時代には、両班が奴婢を支配する強固な身分制の根拠として、犯禁八条が利用された。すなわち、聖人箕子が朝鮮にやって来て犯禁八条を定めたが、その中に窃盗したら奴隷にされるとある。だから奴婢はもともとは聖人の教えを破った野蛮人であり、両班は聖人の教えを悟った文明人である。だから、両班が奴婢を奴隷にするのは朝鮮人を教化しようとした聖人箕子の思し召しである、という理由である[5]。
脚注
編集- ^ 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、3頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ 佃収『倭人のルーツと渤海沿岸』星雲社〈「古代史の復元」シリーズ〉、1997年12月1日、172頁。ISBN 4795274975。
- ^ 礪波護、武田幸男『隋唐帝国と古代朝鮮』中央公論社〈世界の歴史 (6)〉、1997年1月、256頁。ISBN 978-4124034066。
- ^ 朝鮮古書刊行会 1909, p.38
- ^ 李栄薫『大韓民国の物語』文藝春秋、2009年2月、47頁。ISBN 4163703101。
参考文献
編集- 朝鮮古書刊行会(漢文)『国立国会図書館デジタルコレクション 朝鮮群書大系』朝鮮古書刊行会、1909年 。