獅子岳 快猛(ししだけ かいもう、1813年文化10年) - 1889年明治22年)7月28日)は、高野山真言宗管長金剛峯寺383世座主。長門国出身。

獅子岳 快猛
1813年文化10年) - 1889年明治22年)7月28日
法名 快猛
生地 長門国
宗派 高野山真言宗
寺院 金剛峰寺
龍光院
成福院
神上寺
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生涯

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長門国(現在の山口県下関市)出身[1]長府藩士である森脇氏の子として生まれ、幼少期に神上寺で出家する[2]。12歳で高野山成福院衆坊に入り、龍光院で30年間にわたり修学練行した。42歳のときに西禅院に住し引摂院・等持院を兼務、無量寿院主となる[2]

1879年明治12年)に金剛峯寺の第384世座主に就任。またこれまでに単称真言宗管長・高野山大学学長を歴任[2]

1889年明治22年)7月28日、死去[2]

脚注

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  1. ^ 1975年,法藏館『密教辞典』
  2. ^ a b c d 1942年,金剛峯寺『高野山千百年史』
先代
降魔研暢
高野山金剛峯寺座主
第383世:1879年 - 1889年
次代
原心猛