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琉球在番奉行(りゅうきゅうざいばんぶぎょう)は、江戸時代薩摩藩琉球王国を間接統治するために、現在の沖縄県那覇市に常駐させた役職者。

在番奉行編集

薩摩藩が1609年に琉球王国に侵攻し屈服させた後の1628年に薩摩藩が琉球統治の那覇に常駐させた。

  • 上下十五人賄料、渡海ノ節、御心付文銀百五十枚被成下候
  • 琉球一詰二十八ヶ月ニシテ古銀百枚、在番奉行同五百目ヅツ、 付役同四百三十目ヅツ、横目役同四百目、但、五割増込同五枚

(御規)

  • 琉球在番奉行一人 但、御役ニ無構高ノ不依多少、主従十五人賦
  • 同付役四人内、二人ハ主従五人賦、二人ハ主従四人賦(筆者、与力)

在番奉行所編集

現在の沖縄県那覇市西1-2-16にあった。薩摩藩の役人の琉球における出先機関としての役所で在番仮屋(ザイバンカイヤ)、大仮屋(ウフカイヤ)とも呼ばれた。1609年慶長14年)の島津侵攻後、薩摩藩が出先機関として1628年寛永5年)に設置した。以来1872年までの250年間、薩摩藩による琉球支配の拠点となった。在番奉行や附役など約20人が常勤し、薩琉間の公務の処理や貿易の管理にあたった。明治維新後に琉球王国が薩摩藩の統治下から外れた際に廃止されたが、その跡地には琉球処分後の1872年琉球藩が設置された後、外務省、内務省出張所となり、琉球処分後の1879年明治12年)の沖縄県の設置後は仮県庁となり、1881年には沖縄県庁となって、その後1920年大正9年)に現在の那覇市泉崎に移転するまで、沖縄県政の中心となっていた。

御仮屋編集

琉球には在番奉行の接待役として御仮屋という役職があった。御仮屋守日記に在番奉行の行動や様子が詳しく記録されている。

昆布座編集

薩摩藩は1800年前後に琉球へ昆布を大量に運ぶようになり那覇に昆布座を設置して現在の中国の福建省に輸出した。薩摩藩は奄美群島産の黒糖大坂で昆布に換えて、昆布を琉球では唐物に換え、唐物を長崎北陸で現金に換えた。

関連リンク編集

脚注編集

参考文献編集

  • 御仮屋守日記

関連項目編集