琵琶塚古墳(びわづかこふん)は、栃木県小山市飯塚にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

琵琶塚古墳

墳丘(左に前方部、右奥に後円部)
所在地 栃木県小山市大字飯塚
位置 北緯36度22分30.88秒 東経139度48分25.67秒 / 北緯36.3752444度 東経139.8071306度 / 36.3752444; 139.8071306 (琵琶塚古墳)座標: 北緯36度22分30.88秒 東経139度48分25.67秒 / 北緯36.3752444度 東経139.8071306度 / 36.3752444; 139.8071306 (琵琶塚古墳)
形状 前方後円墳
規模 墳丘長124.8m
埋葬施設 不明
出土品 円筒埴輪ほか
築造時期 6世紀初頭
史跡 国の史跡「琵琶塚古墳」
特記事項 栃木県第2位の規模
地図
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栃木県では第2位の規模の古墳で[1]6世紀初頭(古墳時代後期)の築造とされる。

概要 編集

栃木県南部、思川姿川に挟まれた台地上に築造された古墳である。古墳は前方部を南南西に向ける。墳丘の築造では、自然の土ぶくれを利用して設けられた基壇の上に、2段で土盛りがなされている[2]。築造時期については、古墳の形状や出土埴輪から6世紀初頭とされる[1]

本古墳の南方には同じく大規模古墳である摩利支天塚古墳があり、ともに下毛野地域を代表する首長墓とされる[3]。両古墳築造後も、思川・姿川間の台地の北方では「下野型古墳」と呼ばれる独特の前方後円墳群が営まれていった[3]

古墳域は1926年大正15年)2月24日に国の史跡に指定されている[4]。2013年度(平成25年度)からは発掘調査が実施されており、墳丘1段目・2段目で円筒埴輪列が確認されている[5][6][7]

墳丘 編集

 
墳丘
左に前方部、右に後円部。

墳丘の規模は次の通り[8]

  • 墳丘長:約124.8メートル
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:約75メートル
    • 高さ:約11メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 幅:約70メートル
    • 高さ:約9メートル

墳丘の周りには幅約20メートルの周堀があり、墳丘東側と南側は二重の堀であったことが判明している[2]

文化財 編集

国の史跡 編集

  • 琵琶塚古墳 - 1926年(大正15年)2月24日指定、1981年(昭和56年)12月9日に指定範囲の追加指定[4]

周辺の古墳 編集

 
琵琶塚古墳(右手前)と摩利支天塚古墳(左後方)

思川・姿川間の台地上には6世紀から7世紀にかけて多数の大規模古墳が築造されており、これらは当地の歴代在地首長墓とされる[9]。主な古墳には次のものがある。

なお、律令制下に入っても当地一帯は下毛野国(のち下野国)の中心部をなしており、付近には下野国府下野国分寺が営まれた。

関連施設 編集

  • 国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館(小山市飯塚) - 琵琶塚古墳の出土品等を保管・展示。

脚注 編集

  1. ^ a b 琵琶塚古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)。
  2. ^ a b 史跡説明板。
  3. ^ a b 『栃木県の歴史』(山川出版社)p. 43-45。
  4. ^ a b 琵琶塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ “琵琶塚古墳で初の現地説明会 小山”(下野新聞、2015年3月22日記事)。
  6. ^ "琵琶塚古墳:全長124メートル 円筒埴輪、2段目からも出土 小山市教委"(毎日新聞、2015年4月7日記事)。
  7. ^ "琵琶塚古墳 説明会に160人参加 小山/栃木"(毎日新聞、2016年3月8日記事)。
  8. ^ 規模の記載は史跡説明板、琵琶塚古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)による。墳丘長のみ2015年発掘調査の結果を反映。
  9. ^ 吾妻古墳、平成22年1月17日現地説明会資料 (PDF) (栃木県埋蔵文化財センター)。
  10. ^ 摩利支天塚古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)。
  11. ^ 吾妻古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)。

参考文献 編集

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(栃木県教育委員会設置)
  • 琵琶塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献 編集

(記事執筆に使用していない関連文献)

関連項目 編集

外部リンク 編集