瑞光院
京都市山科区安朱堂ノ後町にある臨済宗大徳寺派の仏教寺院
瑞光院(ずいこういん)は京都市山科区安朱堂ノ後町にある臨済宗大徳寺派の仏教寺院。かつては上京区堀川頭今宮御旅所下ル瑞光院前町に存在した。現在の場所に移転したのは昭和37年[1]。忠臣蔵ゆかりのある寺院でもある。
瑞光院 | |
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所在地 | 京都府京都市山科区安朱堂ノ後町 |
山号 | 紫雲山 |
宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
正式名 | 紫雲山瑞光院 |
法人番号 | 1130005001203 |
歴史 編集
慶長16年(1611)に浅野長政は当地にあった朝野稲荷[2]を廃し、京における別邸が建てられた。長政が死んだ後、山崎家盛がその別荘を瑞光院とした[3]。その後山崎家が断絶してしまった後は、浅野祖先のゆかりの寺であり、瑞光院の和尚と叔父、姪の間柄にあった浅野長矩(内匠頭)の妻、瑤泉院が浅野家の武運長久を祈願し寺を再興した[4]。
浅野内匠頭が有名な松の廊下の事件で切腹した後は、家臣が瑞光院へ来て、浅野内匠頭の衣冠を境内に埋め、供養塔を作り主人の冥福を祈ったとされる[5]。浅野内匠頭の家臣であった大石内蔵助良雄など義士たちの切腹の際は、瑞光院の僧が江戸へ行き、義士の遺書と遺髪を集めて、院へ戻り遺髪塔を建てたとされる[6]。のちに明治政府により[7]遺髪塔は破壊された。戦後に寺領を購入した大日本スクリーンが、跡地から遺髪を入れたと思しき甕の欠片などの遺構を発見している。
昭和37年(1962年)、瑞光院は現在の場所に移転した[1]。
現在の瑞光院に遺髪塔は無いが、SCREENホールディングスの本社に「瑞光院、赤穂義士四十六士遺髪塔跡」石碑が平成17年(2005年)に立てられている。また、瑞光院には新たに建立された四十六士の墓がある[8]。
交通アクセス 編集
- 京阪京津線・JR琵琶湖線・地下鉄東西線山科駅下車、北へ徒歩15分。[9]
脚注 編集
- ^ a b 佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか編『京都大事典』淡交社、1984年、p.528
- ^ 叱枳尼尊天が才神で、たまたま同音になっているが浅野氏とは無関係。
- ^ 京都・山城寺院神社大事典. 平凡社. (1997年)
- ^ 田中緑紅著『忠臣蔵名所(復刻版)』三人社、2018年(初出は1958年)、p.16
- ^ 田中緑紅著『忠臣蔵名所(復刻版)』三人社、2018年(初出は1958年)、p.17
- ^ 田中緑紅著『忠臣蔵名所(復刻版)』三人社、2018年(初出は1958年)、p.18
- ^ 「復讐禁止令」(仇討ち禁止令)と廃仏毀釈(瑞光院は稲荷を廃し寺としている)
- ^ 義士のうち寺坂吉衛門は切腹してないので、墓は造られていない。
- ^ “京都観光Navi 瑞光院”. 2019年4月7日閲覧。
参考文献 編集
- 佐和隆研ほか/編『京都大事典』淡交社、1984年。
- 平凡社/編『京都・山城寺院神社大事典』平凡社、1997年。
- 田中緑紅/著『忠臣蔵名所(復刻版)』三人社、2018年。