山科区
山科区(やましなく)は、京都市を構成する11の行政区の1つ。京都市の東側にある山科盆地の北部と、周辺の山地を区の範囲としている。
やましなく 山科区 | |
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琵琶湖疏水と桜 | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
市 | 京都市 |
市町村コード | 26110-6 |
面積 |
28.70km2 |
総人口 |
130,835人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) |
人口密度 | 4,559人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
京都市(左京区、東山区、伏見区) 滋賀県大津市 |
山科区役所 | |
所在地 |
〒607-8511 京都府京都市山科区椥辻池尻町14番地の2 北緯34度58分21秒 東経135度48分49秒 / 北緯34.97250度 東経135.81361度座標: 北緯34度58分21秒 東経135度48分49秒 / 北緯34.97250度 東経135.81361度 |
外部リンク | 京都市山科区役所 |
ウィキプロジェクト |
本項ではかつて同一地域に存在した宇治郡山科町(やましなちょう)についても述べる。
概要
編集東山により京都盆地から、音羽山や醍醐山(笠取山)などにより近江盆地から隔てられている。古くから京都と東国とを結ぶ交通の要衝であった[1]。
かつては農村地域だったが、現在はベッドタウンとして他地域からの移入者も多い[2]。名神高速道路の京都東ICなどもあり、京都市の東の玄関口として発展している。
東側は滋賀県大津市との県境に接しており、大津との結び付きも強い[注 1]。
南側は伏見区醍醐地区に接しており、山科区と同一の生活圏や経済圏を形成している[4]。古くより同じ宇治郡であり山科川流域でもある山科区と醍醐地区との繋がりは、伏見区中心部と醍醐地区の繋がりよりも深いとされ[4]、市政や観光案内においても、山科と醍醐は一括りにされることが多い[5][6]。
地理
編集地形
編集山地
編集- 主な山
河川
編集- 主な川
地域
編集区を構成する町:京都市山科区の町名を参照。
人口
編集山科区に相当する地域の人口の推移 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体・行政区
編集歴史
編集古代
編集山科の栗栖野台地上にある中臣遺跡からは旧石器時代の石器や弥生時代の方形周溝墓が発見されており、古くから山科には人々が住んでいたいたことが窺える[7]。
律令制下において、山科は山城国宇治郡に属していた8郷のうちの1つであり、古くは「山階」「山品」とも表記された[8][9][10]。
山科は古代より中央政権との結びつきが深かった。中臣鎌足は山科に邸宅(陶原館)を建てて拠点とし、天智天皇に山科から近い大津宮へ遷都するよう進言した[11]。鎌足は657年に館の一角に仏堂を建て、669年には妻の鏡王女が鎌足の病状を回復を祈願するために仏像を安置して山階寺とした[12][13][14]。山階寺は後に飛鳥を経て奈良に移り、興福寺となった[15][16]。672年に天智天皇が崩御すると、陵は山科に造営された(御廟野古墳)[17][18]。
平安遷都後、山科には安祥寺(848年)・毘沙門堂門跡・勧修寺(900年)・曼荼羅寺(後の随心院、991年)など多くの寺院が建立され、醍醐には醍醐寺(874年)が創建されている[19]。
また、山科周辺は平安遷都以前から交通の要衝であった。奈良時代には北陸道(現:奈良街道)が宇治方面から山科盆地を北進して近江国に抜けるルートをとっており、山科には宿駅が設置された[20]。平安遷都に伴って山科駅は廃止されたが、京と東国を結ぶ東海道・東山道が山科盆地の北端を通るようになった[8][20][21]。
中世
編集平安時代末期、後白河上皇は山科に別荘(山科新御所)を造営した[22][23]。新御所周辺の所領は上皇の崩御後に寵妃の高階栄子に与えられ、更にその子の藤原教成に継承された[24][25]。以降、教成の子孫は山科家と称すようになった。
室町時代後期の1478年、蓮如によって山科本願寺が建てられ[26]。山科本願寺は強固な堀と土塁による防衛機能を有し、寺を中心とする寺内町が形成された[27]。 しかし城郭都市のようになった本願寺の存在と門徒たちの勢いを恐れた細川晴元は、京都市内をほぼ勢力下に置いた日蓮宗徒らと結託して一向宗に打撃を加えようとした。最盛期には、山科は宗教都市として「仏国の如し」と称されるほどの繁栄を誇ったが[28]、1532年に細川晴元や京の日蓮宗信者らによって破壊され(山科本願寺の戦い)、本願寺は大坂の石山に移った[29]。山科本願寺は廃墟と化したが、今も高い土塁の跡が区内各地に残存している。
近世
編集1600年の関ヶ原の戦いの後、山科は皇室の領地(禁裏御料)となった[30]。この時期の山科には山科郷士という、禁裏の警固などを担う身分があり、農民でありながら名字や帯刀が許可されるという特異な身分であった[31]。
江戸時代には山科や四宮、髭茶屋追分までが東海道の街道筋として一続きの町となり、飛脚や参勤交代をはじめ多くの人々が行き交った[32]。髭茶屋追分からは京都を通らず大津宿と伏見宿、大坂を直接つなぐ伏見街道(大津街道)が山科盆地を南へ走っていた[33]。
1701年、赤穂浪士の大石良雄(内蔵助)は山科西部の西野山に移住し、仇討ちまでの間、夜毎東山を越えて祇園に通いながら世間の目を欺いていた[34]。
近代
編集明治以降、琵琶湖疏水や東海道本線、京阪京津線などが山科を通るようになり[35]、1933年(昭和8年)に京津国道(現:三条通)が開通し、大正から昭和にかけては繊維・染色関係の工場が建つなど、山科は京都郊外の住宅・工業地として発展した[33]。1921年(大正10年)に西野に建設された日本絹布が特に大きな工場であり、翌年鐘紡に吸収されその山科工場となった。多くの女工が周囲に住み、近隣には市場や映画館もできるなど山科駅周辺の市街地化に貢献した[注 2]。
京都郊外のレジャー地区としてゴルフ場、ダンスホール、料亭なども開設されている。1926年(大正15年)に町制を施行した後、1931年(昭和6年)に京都市東山区に編入されたが[37]、この時点では住宅や工場は東海道沿いと山科駅周辺に集中しており、その他は竹やぶの散在する近郊農村だった。
現代
編集戦後、名神高速道路の京都東インターチェンジや国道1号線五条バイパス、区内の外環状線、国鉄(現JR西日本)湖西線が開通している。
高度成長期以降は盆地内の農地の宅地化が進み、大型団地が建設されるなど京都や大阪のベッドタウンとなった。ただし、この際に道路整備が追い付かなかった事が、区内各所での渋滞が慢性化している原因にもなっている。
1976年(昭和51年)、東山区のうち旧山科町に相当する地域が分割され、山科区が成立した[37]。
近年は京都市中心部と山科・醍醐を結ぶ京都市営地下鉄東西線が開通するなど更なる交通網の整備が進んだほか、山科駅前は地下鉄開通とともに再開発され、商業施設「ラクト山科」が建設されている[37]。そのため山科駅周辺ならびに地下鉄東西線が地下を走る外環状線沿線は活気ある街に育ちつつあるが、かつてのメインストリートであった旧東海道や醍醐街道の繁栄振りは鳴りを潜め、空洞化が進んでいる。
政治
編集やましなちょう 山科町 | |
---|---|
廃止日 | 1931年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 山科町 → 京都市(東山区) |
現在の自治体 | 京都市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 宇治郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
20,398人 (国勢調査、1930年) |
隣接自治体 |
京都府 京都市 宇治郡醍醐村 紀伊郡深草町 滋賀県 大津市 滋賀郡膳所町 |
山科町役場 | |
所在地 | 京都府宇治郡山科町 |
座標 | 北緯34度58分20.3秒 東経135度48分49.1秒 / 北緯34.972306度 東経135.813639度 |
ウィキプロジェクト |
行政
編集自治体の変遷
編集- 明治
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、宇治郡安朱村、上野村、御陵村、日岡村、厨子奥村、竹鼻村、四宮村、髭茶屋町、八軒町、小山村、音羽村、大塚村、西野村、東野村、北花山村、大宅村、椥辻村、上花山村、川田村、勧修寺村、西野山村、栗栖野村、小野村が合併して宇治郡山科村が成立。
- 大正
- 昭和
国家機関
編集法務省
編集厚生労働省
編集施設
編集警察
編集- 京都府山科警察署
- 大塚交番(大塚森町)
- 花山交番(北花山寺内町)
- 勧修寺交番(西野山中臣町)
- 四ノ宮交番(音羽草田町)
- 竹鼻交番(竹鼻四丁野町)
- 椥辻交番(大宅桟敷)
- 百々交番(西野山百々町)
- 御陵交番(御陵別所町)
- 山科駅前交番(安朱桟敷町)
消防
編集- 京都市山科消防署(西野今屋敷町)
- 大塚消防出張所(大塚北溝町)
医療
編集- 主な病院
- 洛和会音羽病院
- 愛生会山科病院
公民館
編集- 京都市東部文化会館
図書館
編集郵便局
編集- 郵便番号
郵便番号は607-00・-08・-09・-80・-81・-82・-83・-84が使用されている。
- 主な郵便局
- 山科四宮郵便局
- 京都山科音羽郵便局
- 京都山科竹鼻郵便局
- 京都東野郵便局
- 京都山科椥辻郵便局
- 京都山科大宅郵便局
- 京都勧修寺郵便局
- 京都山科川田郵便局
- 京都山科西野郵便局
- 京都山科御陵郵便局
- 京都北花山郵便局
経済
編集第三次産業
編集商業
編集- 主な商業施設
本社を置く企業
編集情報・通信
編集マスメディア
編集中継局
編集教育・研究機関
編集大学
編集- 国立
- 私立
高等学校
編集- 府立
- 私立
中学校
編集- 市立
- 私立
- 一燈園中学校
小学校
編集- 市立
- 私立
- 一燈園小学校
特別支援学校
編集- 市立
各種学校
編集研究機関
編集- 科研製薬総合研究所
交通
編集鉄道
編集- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
バス
編集路線バス
編集1997年(平成9年)10月1月日まで京都市営バスの路線が存在したが、翌10月12日の地下鉄東西線開通に伴うバス路線再編で、路線網を京阪バスに譲り撤退していた[38]。このため、山科は京都市の11区で唯一市バス路線のない区であった。しかし、2021年(令和3年)12月1日より河原町三条・四条河原町と山科団地・国道東野を結ぶ特80系統の運行を開始したことにより、24年ぶりに京都市営バスの路線が復活した[38][39]。
- 京阪バス - 京阪バス山科営業所および京阪バス洛南営業所(区内の一部域)も参照。
- 京都市交通局(京都市営バス)- 京都市営バス梅津営業所も参照。
- ヤサカバス・醍醐コミュニティバス - 一部停留所のみ山科区に位置。
道路
編集高速道路
編集国道
編集府道・市道
編集- 主要地方道
- その他の府道
- 主要道路
観光
編集名所・旧跡
編集- 主な寺院
- 主な神社
- 主な遺跡
- 主な史跡
観光スポット
編集文化・名物
編集祭事・催事
編集- 阿含の星まつり
- 陶器市 - 1975年7月から開催された「陶器まつり」は五条坂で行われる陶器まつりと並ぶ夏の風物詩として知られたが、2010年代に取りやめとなり、陶器市は従前から秋に開催されている「楽陶祭」の中で『清水焼の郷まつり』として開催されている。
名産・特産
編集著名な出身者
編集山科区を舞台とした作品
編集映画
編集小説
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 山科経済同友会 2021, p. 18.
- ^ 京都橘女子大学 1992, pp. 231–232.
- ^ “藤尾学区”. 大津市. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ a b “山科・醍醐の歴史”. 京都醍醐ライオンズクラブ. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ “山科・醍醐プロジェクトについて”. 京都市 (2024年3月28日). 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ “山科・醍醐エリアガイド”. そうだ 京都、行こう。. 東海旅客鉄道. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ 山科経済同友会 2021, pp. 9–10.
- ^ a b 山科経済同友会 2021, p. 19.
- ^ 学習研究社 1992, p. 35.
- ^ 森 2008, p. 199.
- ^ 京都橘女子大学 1992, pp. 31–32.
- ^ 山科経済同友会 2021, p. 20.
- ^ 学習研究社 1992, p. 31.
- ^ 森 2008, pp. 200–201, 208–209.
- ^ 学習研究社 1992, pp. 34–35.
- ^ “概要”. 興福寺. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ 山科経済同友会 2021, p. 12.
- ^ 京都橘女子大学 1992, p. 32.
- ^ 学習研究社 1992, pp. 16–19.
- ^ a b 京都橘女子大学 1992, p. 37.
- ^ 山科本願寺・寺内町研究会 2003, p. 36.
- ^ 山科本願寺・寺内町研究会 2003, p. 47.
- ^ 山科経済同友会 2021, p. 32.
- ^ 山科本願寺・寺内町研究会 2003, pp. 48–49.
- ^ 山科経済同友会 2021, p. 38-39.
- ^ 山科経済同友会 2021, pp. 72–73.
- ^ 山科経済同友会 2021, pp. 73–74.
- ^ 森 2008, p. 248.
- ^ 山科経済同友会 2021, p. 76.
- ^ 京都橘女子大学 1992, pp. 124–125.
- ^ 山科経済同友会 2021, pp. 84–85.
- ^ 学習研究社 1992, pp. 114–116.
- ^ a b 学習研究社 1992, p. 114.
- ^ 学習研究社 1992, pp. 122–124.
- ^ 山科経済同友会 2021, pp. 110–114.
- ^ “p48-49山科の出来事”. 京都市. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ a b c “「第6回山科検定」参考資料集”. 山科検定委員会. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ a b “京都市バス 山科区へ24年ぶり乗り入れ「河原町三条~東野」新設 京阪バス減便を補完”. 乗りものニュース (2021年10月16日). 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
- ^ “(お知らせ)山科地域への市バスの運行について”. 京都市 (2021年10月14日). 2021年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月2日閲覧。
参考文献
編集- 学習研究社『ふるさとまんが 醍醐・山科の歴史』京都醍醐ライオンズクラブ、1992年。
- 京都橘女子大学 編『洛東探訪: 山科の歴史と文化』淡交社、1992年。ISBN 9784473012579。
- 森浩一『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』学生社、2008年。ISBN 9784311801020。
- 山科経済同友会『山科の歴史と現代』2021年。 NCID BC05065715。
- 山科本願寺・寺内町研究会 編『掘る・読む・あるく 本願寺と山科二千年』淡交社、2003年。ISBN 9784831875365。