甄皇后 (遼)
甄皇后(しんこうごう、907年 - 951年)は、遼(契丹)の世宗の皇后。
甄皇后 | |
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遼(契丹)の皇后 | |
在位 | 947年 - 951年 |
出生 |
907年 |
死去 |
951年 |
埋葬 | 医巫閭山 |
配偶者 | 世宗 |
子女 | 耶律只没 |
経歴編集
容姿が美しく、はじめ後唐の宮人となった。世宗が太宗に従って南征して彼女を得ると、寵愛することはなはだ厚く、寧王耶律只没耶律只没を生んだ。世宗が即位すると、皇后に立てられた。
宮廷の統制にはきまりを重んじて、私情をはさむことがなかった。軍事や国事についても助言したが、世宗に用いられることはなかった。951年、耶律察割が乱を起こすと、皇后は世宗とともに殺害された。景宗が即位すると、皇后の遺体は懐節蕭皇后とともに医巫閭山に葬られ、陵寝の側に廟が建てられた。
伝記資料編集
- 『遼史』巻71 列伝第1