生田 重勝(いくた しげかつ)は、戦国時代から安土桃山時代武将黒田氏の家臣。

 
生田重勝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
改名 隅田氏生田氏
別名 小助、木屋之助
主君 黒田孝高長政
福岡藩
父母 隅田式部少輔
十右衛門
テンプレートを表示

略歴 編集

元は隅田氏といい、大友氏に属する日向国の武士であった。元服前、同僚と喧嘩の末に殺害するという事件を起こしたため出奔する。その後は播磨姫路黒田孝高を頼り、そこで賊を討つ功を立てたため、孝高に認められて家臣となった。摂津生田での合戦での戦功を賞され、以後は摂津の名所にちなんで生田の姓と木屋之助の名乗りを与えられた。その後も天正5年(1577年佐用城の戦いで武功があった。文禄2年(1593年朝鮮出兵に従い、第二次晋州城攻防戦黒田長政を助けて戦う。慶長5年(1600年)黒田家が福岡藩に封じられると600石を与え、同地で没した。

出典 編集

  • 『益軒全集』巻5(益軒全集刊行部、1911年