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生駒 親賢(いこま ちかかた、正徳5年(1715年) - 天明6年6月28日1786年7月23日))は、江戸時代中期の旗本通称は亀次郎、大蔵、刑部、内記、主殿、主膳。

生涯編集

交代寄合生駒親猶の長男として誕生した。享保16年(1731年)3月22日、将軍徳川吉宗御目見する。宝暦3年(1753年)10月4日、親猶の死去により家督を相続する。宝暦11年(1761年)10月1日、幕府から輪王寺宮公遵法親王に従い上洛することを命じられる。明和8年(1771年)8月8日、隠居し、養子の親睦に家督を譲る。天明6年(1786年)6月28日、死去。72歳。

正室は六郷政晴の娘(婚約のみ)、水野勝政の娘。2男5女あり(そのうち養子2人、養女2人)。最初に丹羽高寛の二男・親信を養子に迎えたものの、先立って死去してしまった。次いで、本多正矩の七男・親睦を養子に迎え、家督を譲った。

参考文献編集