田原 重綱(たはら しげつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は与右衛門。織田信雄の家臣。
田原元綱の子として生まれる。田原氏は伊勢赤堀氏の一族で、浜田城に拠って北畠家に仕えた[1]。
天正4年(1576年)、滝川一益の攻撃を受けて父の元綱は討死するが、重綱は美濃国に逃れ、後に織田信雄の家臣となった[2]。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに参加し、加賀野井城で討死した[2]。