田澤 昌孝(たざわ まさたか、1873年10月7日[1] - 1942年6月30日[2])は、日本発明家

田澤昌孝

1891年(明治24年)に慶應義塾大学を卒業した後、海軍省技監の若山鑛吉につき造船および造機学を修得した[3]。その後、芝浦製作所に入所し各種の機械製作に従事した[3]。1909年(明治42年)に下記特許を取得し、翌年に電業社水車製造所を創立し、大型水車の製造を行った[3]

1919年(大正8年)に帝国発明協会全国発明表彰により、有功賞が授与されている[4]

海軍軍人の向山均の弟である坦を養子に迎えている[5]

特許

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出典

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  1. ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)た46頁
  2. ^ 『実業の世界』第39巻第8号(実業之世界社、1942年8月)p.87
  3. ^ a b c 大阪発明協会 編『帝国発明家名鑑』日刊工業新聞出版部、1937年、17頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1207646/1/181 
  4. ^ 全国発明表彰大正8年受賞者一覧”. 公益社団法人発明協会. 2024年5月11日閲覧。
  5. ^ 向山均 - 『人事興信録』第8版(1928年7月、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」)