田辺 南龍(たなべ なんりゅう)は、講釈師の名跡。簡略して田辺南竜の字を用いる時がある。

初代 田辺南龍 編集

本名は荻沼作内(荻原作内説もある)[1]。文化7年(1810年) - 慶応元年10月8日[1]

下総国佐原在森戸村の農民作右衛門の子として生まれる(越後国出身説もある)[1]初代田辺南鶴門下[1]。軍談を得意とし、「のんのん、ずいずい」が口癖であった[1]。この口癖は2代目田辺南龍に引き継がれた[1]

2代目 田辺南龍 編集

本名、松野 房次郎[2]。天保10年(1839年) - 1884年12月10日[2]

御家人の家に生まれたが道楽者で、釈場の下足番から初代田辺南龍門に入り、龍子、何遊と名乗る[2]。龍子と名乗ったとする説は、2代目小金井芦洲と混同した可能性がある[2]。2代目田辺南龍を襲名した時期は不明[2]

修羅場や人情講談を得意とし、口癖は「のんのん、ずいずい」であった[2]夏目漱石の晩年の随筆硝子戸の中』にも「のんのんの南龍」として登場する。

3代目 田辺南龍 編集

本名、高宮半治郎[3]生没年不詳[3]。2代目田辺南龍の弟とも言われる[3]。3代目田辺南龍を継いだ時期は不明だが、1885年か1886年頃に襲名と推測される[3]

4代目 田辺南龍 編集

本名、生没年不詳[4]2代目松林伯圓の門人松林伯一(円慶、伯一、4代目南龍、円玉と名乗る)が襲名した[4]。伯一南龍、しゃも屋円玉とも呼ばれた[4]

5代目 編集

五代目 田辺たなべ 南龍なんりゅう
本名 関川 正太郎
生年月日 1878年3月9日
没年月日 (1954-10-08) 1954年10月8日(76歳没)
出身地   日本東京府
師匠 四代目宝井馬琴
早川貞水
弟子 十二代目田辺南鶴
名跡 1.宝井琴紅
(不詳)
2.双竜斎鏡水
(? - 1906年)
3.五代目田辺南龍
(1906年 - 1954年)
受賞歴
1948年芸術祭賞受賞

五代目 田辺 南龍1878年3月9日 - 1954年10月8日[5])は、講談師。本名∶関川 正太郎

経歴 編集

東京都神田区紺屋町に生まれ、神田小学校卒業後、錦町に移る[5]

幼少期から本牧亭に通い、13歳で二代目宝井琴凌に入門して、宝井琴紅を名乗る[5]。病気療養の後、双龍斎貞鏡に入門し、双龍斎鏡水となる[5]。1899年、師の双龍斎貞鏡が真龍斎と改めたため、鏡水も真龍斎と改める[5]

1906年、五代目田辺南龍を襲名[5]。戦中は教育講談師として活動した[5]1953年芸術祭賞受賞[5]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、278-282頁。 
  2. ^ a b c d e f 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、282-286頁。 
  3. ^ a b c d 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、286-288頁。 
  4. ^ a b c 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、288-290頁。 
  5. ^ a b c d e f g h 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、290-297頁。 

参考文献 編集