畳奉行(たたみぶぎょう)は、江戸幕府における職名の1つ。江戸城内の座敷や諸役所のを管理し、畳作りや畳表替などの役目を受け持った。

概要

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寛永9年(1632年)10月8日に設置。作事奉行の配下で、焼火之間詰め。100俵高で役扶持は7人扶持、寛延元年(1748年)11月5日に15人扶持となった[1][2]。定員は3人。配下として手代が各20人つけられた[1]

江戸幕府だけでなく、大名家にも同名の役職を置いた藩があり、尾張藩の御畳奉行は40俵の役料が給された。

脚注

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  1. ^ a b 『明良帯録』より。
  2. ^ 『吏徴』より。

参考文献

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