白根 鼎三(しらね ていぞう、1850年嘉永3年[1]) - 1918年大正7年)12月11日[2])は、明治から大正時代の政治家神奈川県中郡大磯町長

経歴

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山口県士族・ 白根正一の長男に生まれる[2]1875年(明治8年)鉱山寮出仕を経て、1877年(明治10年)神奈川県第5課御用掛となる[2]。検疫関係事務を担当したのち、都筑橘樹[3]鎌倉各郡長を経て、1899年(明治32年)から約10年間に渡り中郡長を務めた[2]

1902年(明治35年)大磯町大火のとき、郡長として復興に尽くした[2]1915年(大正4年)大磯町長に就任[2]。大磯から平塚へ郡衙を移す運動の阻止や株組織による大磯税務署・大磯登記所の新築を行った[2]。また、海水浴場道路新設を計画し1917年(大正6年)7月に完成させた。同年10月の暴風雨によるの復興に尽力した。1918年(大正7年)8月には米騒動に対処するため大磯町臨時教済会を設置し、米価騰貴対策に取り組んだ[2]

著作

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  • 他閲『衛生現行法規類纂』内藤士邦、1888年。

脚注

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参考文献

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  • 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。