百済 有雄(くだら の ありお、生没年不詳)は、平安時代前期の官人氏姓は飛鳥戸(飛鳥部)造のち百済宿禰

経歴 編集

河内国高安郡の人。百済毗有王の後胤か[1]貞観5年(863年)10月、主税大属正七位上飛鳥戸河主らとともに百済宿禰に改賜姓される[2][3]

元慶元年(877年)12月、従五位下主税助で本貫を右京三条に移した[1][4]。元慶4年(880年)8月、主税助外従五位下と見え、飛鳥戸神社への神田設置を御春有世とともに申請し認められた[5]。他の事績は不明。

官歴 編集

日本三代実録』による。

脚注 編集

  1. ^ a b 阿部 2009, 284頁.
  2. ^ 『日本三代実録』巻第七、清和天皇、貞観5年10月11日条
  3. ^ 阿部 2009, 12頁.
  4. ^ 『日本三代実録』巻第三十二、陽成天皇、元慶元年12月25日条
  5. ^ 『日本三代実録』巻第三十八、陽成天皇、元慶4年8月29日条

参考文献 編集

  • 経済雑誌社 編『国史大系 第4巻 日本三代実録』経済雑誌社、1901年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991094 
  • 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617