相磯 慥(あいいそ まこと[1]1858年3月20日安政5年2月6日[2]〉 - 1929年昭和4年〉8月18日[3])は、日本医師宮中顧問官

相磯慥

経歴

編集

東京府出身。小柴家に生まれ、相磯格堂の養子となった[1]。のち格堂の娘・正子と結婚。1882年明治15年)、東京大学医学部を卒業し、岐阜県立医学校長・附属病院長ののち、ドイツに留学[4]1888年(明治21年)に侍医となった[1]。専門は産婦人科。1924年大正13年)に侍医を辞し、宮中顧問官に就任した[1]

食品微生物学者の相磯和嘉永井荷風の側近の相磯凌霜は、義理の甥に当たる。

栄典

編集
位階
勲章

翻訳

編集
  • ツワイフヘル『産科術要』英蘭堂 1890

脚注

編集
  1. ^ a b c d 人事興信録 第8版 1928.
  2. ^ 人事興信録 第3版 1911.
  3. ^ 『官報』第794号、昭和4年8月21日。
  4. ^ 相磯和嘉『岬の家』
  5. ^ 『官報』第3404号「叙任及辞令」1894年10月31日。
  6. ^ 『官報』第5415号「叙任及辞令」1901年7月22日。
  7. ^ 『官報』第6926号「叙任及辞令」1906年7月31日。
  8. ^ 『官報』第2726号「敍任及辞令」1921年9月1日。
  9. ^ 『官報』第793号「叙任及辞令」1929年08月20日。
  10. ^ 『官報』第151号「叙任及辞令」1927年7月1日。

参考文献

編集
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。