真巌寺

三重県尾鷲市にある寺院

真巌寺(しんがんじ)は、三重県尾鷲市九鬼町314にある曹洞宗寺院。山号は医王山[1]。本尊は薬師如来

真巌寺
所在地 三重県尾鷲市九鬼町314
位置 北緯34度00分58.5秒 東経136度15分14.2秒 / 北緯34.016250度 東経136.253944度 / 34.016250; 136.253944座標: 北緯34度00分58.5秒 東経136度15分14.2秒 / 北緯34.016250度 東経136.253944度 / 34.016250; 136.253944
山号 医王山
宗派 曹洞宗
本尊 薬師如来
創建年 正平元年(1346年)
開基 九鬼隆信
正式名 医王山真巌寺
文化財 真巌寺薬師如来座像(県指定)
法人番号 2190005003804 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

神奈川県相模原市緑区津久井にある功雲寺の末寺[1]。境内には幹周8メートル、樹高22メートル、樹齢約800年のクスノキがある。2013年(平成25年)以後の住職は小倉康司。

歴史 編集

中近世 編集

正平元年(1346年)、九鬼氏の祖である九鬼隆信(藤原隆信)によって薬師寺が創建された[2]。現在の本尊である薬師如来は草創以来のものであるとされる[2]

紀伊国北牟婁郡九鬼村の川上氏一族が薬師寺の世話をしていたが、寛永10年(1633年)頃に僧の真岩元達がやってきて住職となった[1]。寛永17年(1640年)11月、真岩元達の留守中に焼失したが、弟子の林恕は薬師如来を救い出して寺の前にあった池に投げ、本尊のみは焼失を免れた[3][1][2]。古文書はこの際に焼失している[1]

寛永21年(1644年)、現在地に薬師寺が再建された[1]。万治元年(1658年)の九木浦には薬師寺、延命庵、林泉庵の3か寺があったが[4]、薬師寺は他の2か寺を合わせて真巌寺と称した[1][2]。寛文8年(1668年)、真巌寺に成ったタチバナの実を江戸在住の紀州藩主に献上した[5]

延享4年(1747年)には65両で本堂を瓦屋根とする葺き替え工事が行われた[6]

近現代 編集

 
にらくら

1872年(明治5年)に学制が公布されると、1877年(明治10年)には真巌寺に九木学校が設立された[7]。初年度の児童数は男21人・女2人の計23人だったが、1880年(明治13年)には46人、1883年(明治16年)には73人にまで増加している[8]。1883年(明治16年)には九木漁港近くに九木学校の校舎が新築され、真巌寺から移転した[8][9]

1955年(昭和30年)9月12日、真巌寺薬師如来坐像が尾鷲市指定有形文化財に指定された[10]。1956年(昭和31年)5月2日、真巌寺薬師如来坐像が三重県指定有形文化財(彫刻)に指定された[2]。2014年(平成26年)4月には三重県総合博物館の開館記念展に出展されたが、この際に傷みが激しいことを指摘された[11]。檀家からの寄付や三重県の補助金などを活用し、2016年(平成28年)秋には約200年ぶりに真巌寺薬師如来坐像の修復作業を行った[11][12][13]

歴代住職 編集

  • 1世 横山良䗉
  • 2世 真岩元達
  • 3世 南国義薫
  • 4世 耕外回田
  • 5世 実玄恵全 - 安定寺4世。
  • 6世 性全大随 - 安永9年(1780年)。
  • 7世 大麟鏡道 - 享和3年(1803年)。
  • 8世 大円全鏡
  • 9世 大忍戒仙
  • 10世 大鏡実道 - 常声寺より。
  • 11世 海外龍門
  • 12世 大仁仙翁
  • 13世 寛寿全考
  • 14世 大孝詮寿
  • 15世 昌山徳瑞
  • 16世 大全徳純
  • 17世 大徳正典
  • 18世 大英純雄
  • 19世
  • 20世


文化財 編集

県指定文化財 編集

  • 真巌寺薬師如来坐像
    • 鎌倉時代後期[2][12]。膝裏には嘉暦4年(1329年)の墨書銘がある[2][11]材の寄木造[2][14][12][13]。もとは漆箔だったが江戸時代の修理後は肉身漆箔であり、袈裟は茶褐色に着色されている[2][14]。右手は施無畏印であり、左手は薬壺を持つ[2][14]。総高は91.1センチ[12]

現地情報 編集

所在地
最寄駅

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 尾鷲市役所『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年、pp.803-804
  2. ^ a b c d e f g h i j 尾鷲市役所『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年、pp.834-835
  3. ^ 尾鷲市『尾鷲市史年表』尾鷲市、1968年、p.14
  4. ^ 尾鷲市『尾鷲市史年表』尾鷲市、1968年、p.16
  5. ^ 尾鷲市『尾鷲市史年表』尾鷲市、1968年、p.17
  6. ^ 尾鷲市『尾鷲市史年表 市制40周年』尾鷲市、1994年
  7. ^ 尾鷲市役所『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年、pp.37-38
  8. ^ a b 尾鷲市役所『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年、pp.46-48
  9. ^ 『写真アルバム 東紀州の昭和』樹林舎、2020年
  10. ^ 尾鷲市『尾鷲市史年表』尾鷲市、1968年、p.125
  11. ^ a b c 「尾鷲・真巌寺の本尊 200年ぶり修復」『中日新聞』2016年10月31日
  12. ^ a b c d 「木造薬師如来座像 やさしく包み込むまなざし」『朝日新聞』2018年2月6日
  13. ^ a b 「九鬼の漁師町、雨中靴に荒縄巻き巡る 尾鷲ツーデーウォーク」『中日新聞』2022年11月29日
  14. ^ a b c 木造薬師如来坐像 尾鷲市

参考文献 編集

  • 尾鷲市役所『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年

外部リンク 編集