薬師如来
薬師如来(やくしにょらい、サンスクリット語: भैषज्यगुरु、Bhaiṣajyaguru[1]、バイシャジヤグル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する[1]。
概要編集
薬師如来が説かれている代表的な経典は、永徽元年(650年)の玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)と、景竜元年(707年)の義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)であるが、そのほかに建武〜永昌年間(317〜322年)の帛尸梨蜜多羅訳、大明元年(457年)の慧簡訳、大業11年(615年)の達磨笈多訳が知られている。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
密教との関係編集
密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等がある。
真言宗では両部曼荼羅に記されていないが、東寺の金堂本尊(重要文化財)であり、醍醐寺の上醍醐や薬師堂の本尊(国宝)であり、国家鎮護の如来として多くの真言宗寺院の本尊として重視されている。「覚禅抄(東密)」において胎蔵大日如来と同体と説かれている。雑密系の別尊曼荼羅では中尊となる事も多い。
一方で伝統的に朝廷と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国(日本)の帝である天皇と結び付けられもした。「阿裟縛抄(台密)」で釈迦如来・大日如来と一体とされているが、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。
東方の如来という事から五智如来の阿閦如来とも同一視される(例:高野山壇上伽藍金堂)。
チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されており、しばしばチベット僧により日本でも灌頂(かんじょう)が執り行われる。
十二誓願編集
十二の誓願は以下の通り[3]。
- 自身の
光明照耀 ()に依って、一切衆生をして三十二相八十随形 ()を具せしむるの願。 - 衆生の意に随うて光明を以て種々の事業を成弁せしむること。
- 衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること。
- 邪道を行ずる者を誘引して皆な菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること。
- 衆生をして梵行を修して清浄なることを得、決して悪趣に堕せしめざること。
- 六根具足して
醜陋 ()ならず、身相端正 ()にして諸の病苦なからしむること。 - 前述の如く諸病悉除。
女 ()を転じて男 ()と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること。- 外道の邪見に捕らえられて居る者を正見に
復 ()せしめ、無上菩提を得せしむること。 - もろもろの
災難 ()刑罰 ()を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること。 飢渇 ()に悩まされ、食を求むる者には、飯食 ()を飽満せしめ、又、法味 ()を授けて安楽を得せしむること。- 所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の
宝荘厳 ()を得せしめんとすること。
七仏薬師編集
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。
- 善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
- 宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい)
- 金色宝光妙行成就王如来(こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい)
- 無憂最勝吉祥王如来(むうさいしょうきちじょうおうにょらい)
- 法海雲雷音如来(ほうかいうんらいおんにょらい)
- 法海勝慧遊戯神通如来(ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい)
- 薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)
東照権現信仰編集
江戸時代に初代将軍徳川家康が神格化されて神君と呼ばれるようになった。当時徳川将軍家のブレーンであった天海大僧正などの働きもあり、朝廷より徳川家康に「東照大権現」の神号が下され、天台宗系の山王一実神道によって日光東照宮に祭祀された。この東照権現信仰では薬師如来を本地とした。
また、徳川家康は生母於大の方が鳳来寺(愛知県新城市)の本尊の薬師如来に祈願して誕生したと言われ、家康は薬師如来が人間界に現れたものとも言われる。
真言編集
薬師如来の真言は、以下の通り。
小咒編集
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ(oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā)[注釈 2][注釈 3][4]
※「センダリ」「マトウギ」とは、病気の原因たる病原体や災厄の意味であり、同語で表される被差別階級の意味はここでは有しない。
中咒(台密)編集
オン ビセイゼイ ビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajyasamudgate svāhā)[注釈 4]
大咒(東密)編集
ノウマク バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ マカバイセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Namo bhagavate bhaiṣajyaguru vaiḍūryaprabharājāya tathāgatāya arhate samyaksambuddhāya tadyathā oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye mahābhaiṣajya-samudgate svāhā)[注釈 5]
仏像編集
像容編集
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。
国分寺のほとんどは現在は薬師如来を本尊としている。
薬師座像 行基・作(新薬師寺)
日本における造像例編集
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺、神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。
国宝指定の薬師如来像編集
日本における造像例は多数あり、網羅不可能であるため、ここでは国宝指定像を挙げるにとどめる。
関連霊場編集
脚注編集
注釈編集
- ^ 奈良国立博物館に寄託。
- ^ これは無能勝明王(アパラージタ)の真言と混同される。無能勝明王の真言はナウマクサマンダボダナン・ジリンジリン・リンリン・シリンシリン・ソワカである。
- ^ 「密教の神々—その文化史的考察」(佐藤任 著、平河出版社、1979年7月, ISBN 978-4582766738)では「オーン、取り払え、チャンダーリーよ、マータンギーよ、スヴァーハー」と訳して、チャンダーリーはインドの賎民の女、またマータンギーは摩登伽族の女と解釈している。インドのマータンギー女神(Matangi devi)については、英語版のwikipediaのen:Matangiを参照。パールヴァティー女神が賎民に変身してシヴァ神に対して、「私はマータンギー。チャンダーラ族の娘です。」と名乗ったとされる
- ^ 比叡山延暦寺根本中堂での勤行。
- ^ 薬師本願功徳経に説かれている。「薬師世尊、瑠璃光の王、如来、応供、正等正覚、に帰依いたします。すなわち:オーン、薬よ、薬よ、大いなる薬、医薬よ、スヴァーハー。」
出典編集
- ^ a b 「薬師如来」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- ^ 藤巻・羽田・大宮 2004, p. 96.
- ^ 荒井 1917, pp. 63–66.
- ^ 正木 2019, p. 100.
参考文献編集
- 荒井涙光 『十三仏講話 : 布教資料』森江本店、1917年 。
- 正木晃 『密教の聖なる呪文』ビイング・ネット・プレス、2019年。
- 藤巻一保、羽田守快、大宮司朗 『印と真言の本―神仏と融合する密教秘法大全』学研プラス、2004年。