真継伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。1932年3月18日 - 2016年8月22日[1])は、日本作家。元姫路獨協大学教授京都市生まれ。

人と作品 編集

京都大学文学部独文科卒業後の1954年に上京し、創元社の校正アルバイトに就き、1955年に専修大学図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。

一向一揆を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から浄土真宗に帰依する男を描いた歴史小説『鮫』で文藝賞を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また中村錦之助主演で東映で映画化された。

その後、芝浦工業大学に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。1968年に桃山学院大学に移り、当時の大学闘争の対応に追われながら、翌年発表。この続編『華厳』や、『親鸞』など、信仰の問題を追求した作品が多い。

宗教小説以外の代表作としては、スターリン批判ハンガリー動乱に揺れるある大学の共産党細胞の苦悩を描いた『光る聲』。実際にあった事件をモデルに、党の上部組織を批判できない立場の悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集『破局の予兆の前で』などがある。

高橋和巳小田実柴田翔らと同人誌「人間として」、及び「使者」で活動。

1955年、真継豊子と結婚、62年長女を儲けるが、92年に離婚、若い女性と再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』)

姫路獨協大学教授を務めたが、定年前に解雇通告され、無効を求めて他の二人の教授と共に提訴、2005年9月に勝訴した。

囲碁を趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦・文壇本因坊戦などで強豪として知られ、プロ棋戦観戦記の執筆も行い、囲碁に関する著作もある。

2016年8月22日、急性肺炎により死去。84歳没[1]

著作一覧 編集

  • 『鮫』河出書房新社 1964、のち文庫
  • 『光る聲』(長編小説)河出書房新社 1966、のち新潮文庫
  • 『未来喪失者の行動』(評論集)河出書房新社 1967
  • 『無明』(長編小説)河出書房新社、のち文庫 1970
  • 『破局の予兆の前で』(評論集)河出書房新社 1971
  • 『真継伸彦集』新鋭作家叢書4、河出書房新社 1971
  • 『内面の自由』(評論集)筑摩書房 1972
  • 『青春の遺書』(評論)筑摩書房 1973
  • 『わが薄明の時』(『杉本克己の死』改題)(長編小説)新潮社 1973
  • 『林檎の下の顔』(長編小説)筑摩書房 1974
  • 『深淵への帰行』(評論集)筑摩書房 1975
  • 『親鸞』朝日評伝選、朝日新聞社 1975、のち選書
  • 『新しい宗教を求めて~私とは何か』(評論集)筑摩書房 1975
  • 『闇に向う精神』(評論集)構想社 1977
  • 『仏教のこころ』(評論集)筑摩書房 1979
  • 『囲碁のある人生』(随筆・観戦記)筑摩書房 1980
  • 『無明の世界』(評論集)文和書房 1981
  • 『私の蓮如』(伝記)筑摩書房 1981
  • 『樹下の仏陀』(長編小説)筑摩書房 1982
  • 『青空』(長編小説)毎日新聞社 1983
  • 『男あり』(長編小説)筑摩書房 1983
  • 『現代人と救い』(評論)筑摩書房 1983
  • 『死の彼方からの光』編集工房ノア 1984
  • 『青春とはなにか 友だち・スポーツ・読書』岩波ジュニア新書 1985
  • 『〈宗派別〉日本の仏教・人と教え4』(評論)小学館 1985
  • 『君よ、青春の当事者たれ 京大フットボール部全国制覇の記録』講談社 1985
  • 『はばたけ、生命(イノチ)よ お父さんの育児日記』(随筆)河出書房新社 1988
  • 『心の三つの泉 シャーマニズム・禅仏教・親鸞浄土教』(評論)河出書房新社 1989
  • 『「救い」の構造 日本人の魂のありかを求めて』NHKブックス(評論)日本放送出版協会 1991

共著・翻訳など 編集

出典 編集