睿智蕭皇后(えいちしょうこうごう、953年 - 1009年)は、景宗皇后は綽。小字は燕燕。

睿智蕭皇后
の皇后
在位 969年 - 982年

全名 蕭綽
出生 953年
死去 1009年
配偶者 景宗
子女 聖宗、耶律隆慶、耶律隆裕、耶律薬師奴、耶律観音女、耶律長寿女、耶律延寿女
父親 蕭思温
テンプレートを表示

経歴編集

遼の北府宰相蕭思温の娘として生まれた。幼くして聡明で、蕭思温は「この娘は必ず家を成すことができよう」と評した。景宗が即位すると、選抜されて貴妃となった。間もなく皇后に立てられた。夫婦仲は良く、聖宗など多くの子供を産んだ。

乾亨4年(982年)、景宗が崩御すると皇太后に立てられ、摂政にあたった。耶律斜軫と韓徳譲を信任して内政を委ね、南方の軍事は耶律休哥に任せた。統和元年(983年)、承天皇太后の尊号を受けた。統和22年(1004年)、北宋に対する南征の軍を起こすと、戎車に乗って、三軍を指揮した。統和24年(1006年)、睿徳神略応運啓化承天皇太后と尊号を加えられた。統和27年(1009年)、崩御し、聖神宣献皇后と諡された。重熙21年(1052年)、睿智皇后と改諡された。

子女編集

  • 男子:耶律隆緒(聖宗)、耶律隆慶(秦晋王)、耶律隆裕(斉王)、耶律薬師奴(早逝)
  • 女子:耶律観音女、耶律長寿女、耶律延寿女

伝記資料編集

  • 遼史』巻71 列伝第1
  • 『契丹国志』