矢田部氏永
矢田部 氏永(やたべ の うじなが、生年不詳 - 元慶4年(880年))は、平安時代前期の官人。姓はなしか。官位は正八位下・大膳史生。
概要
編集大膳史生を務めていたが、元慶4年(880年)4月8日に諸司の収文(調庸物の納入を証明する公文書)を偽造して淡路国の調である塩代の米50斛余を横領していたことが発覚。これにより調査が行われ、備前国・讃岐国でも同様に未収文を偽造していたことがみつかり、多数の出納関係者が連座して徒罪となった。同年12月に、藤原基経が太政大臣に任ぜられた際の大赦が行われ[1]、この事件で投獄されていた者の多くが獄から出され、しばらくして左遷されたが、氏永は大赦を待たずに獄死した[2]。
事件で処罰された人物
編集氏名 | 官位 | 処罰内容 |
---|---|---|
矢田部氏永 | 正八位下・大膳史生 | 徒罪(獄死) |
藤原安養 | 従六位下・少監物 | 徒罪のち備後権掾へ左遷 |
国瀬十一也 | 正六位上・民部大録 | 徒罪のち安芸権掾へ左遷 |
水康宗 | 正六位上・主計大充 | 徒罪のち越中権掾へ左遷 |
大石林継也 | 従七位下・中務少録 | 徒罪のち豊後大目へ左遷 |
坂本勝守 | 従八位下・中務史生 | 徒罪のち下総史生へ左遷 |
船福男 | 大初位下・民部史生 | 徒罪のち紀伊史生へ左遷 |
珍努三津雄 | 大初位下 | 徒罪のち三河史生へ左遷 |
置始縄継 | 従八位下 | 徒罪のち隠岐史生へ左遷 |
膳常道 | 従六位下 | 徒罪のち伊豆史生へ左遷 |