矢野城(やのじょう)は、徳島県徳島市国府町矢野にあった日本の城

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矢野城
徳島県
矢野城がある気延山
矢野城がある気延山
城郭構造 平山城
築城主 矢野国村
築城年 永禄年間(1558年-1570年
主な城主 矢野氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯34度03分32.2秒 東経134度28分08.2秒 / 北緯34.058944度 東経134.468944度 / 34.058944; 134.468944
地図
矢野城の位置(徳島県内)
矢野城
矢野城
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概要・歴史

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四国八十八カ所十五番札所・国分寺の北西500メートル、西方から突出した、気延山と呼ばれる丘陵の標高28メートルの尾根先端に位置する。南山麓には阿波史跡公園があり[1]、矢野の古墳(県指定史跡[2])や宮谷古墳(気延山古墳群)等の遺跡が広がっている。

西方の尾根続きに空堀を掘り、その堀を傾斜の比較的緩い南側へ回している。城内は東西約60メートル、南北約25メートルで、必ずしも整地された曲輪ではない。所々に気延山古墳群の破壊された跡などもある。

築城年代は不明だが永禄年間(1558年-1570年)に矢野国村が築いたとされる。 天正7年(1579年)12月、脇城下で三好康俊武田信顕らの謀略によって、矢野国村は三好軍と長宗我部軍との狭撃に遭い、討死した。それ以降の矢野城の経緯については不明である。

脚注

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参考文献

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