石井 一昌(いしい かずまさ、1926年 - 2012年)は、日本政治運動家。日本を築く庶民の会会長・元護国団最高顧問・元護国団団長。

生涯

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福島県郡山市出身。1955年6月、護國團に入団、青年隊隊長などを歴任。1955年岸信介(当時、自由民主党幹事長)の事務所に単身乗り込み直談判を行う。1960年、安保改定時に全学連と争って逮捕。

長年の経験より「やくざ右翼は去れ」「右翼では国は救えない」「日本は女性で開けた国」「女性の力がなくては国は救えない」と、右翼を超越した次元で有志と運動を展開中に病没。日本を築く庶民の会には、病床で石井一昌に託された絶筆があり、関係者にシリアル番号をつけて配布済み。

著書

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参考文献

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  • 「暗殺集団」(恒友出版)、「日本を哭く」(石井一昌)

外部リンク

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