石井 末忠(いしい すえただ)は、南北朝時代武将

 
石井末忠
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 建武3年/延元元年5月25日1336年7月4日
別名 七郎[1]
官位 正六位正五位追贈[2]
氏族 安芸石井氏
父母 父:石井資賢[3]
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経歴・人物編集

安芸石井氏佐伯氏一派で在庁官人の田所氏後胤で、安芸国安芸郡府中の名族[3]元弘3年/正慶2年 後醍醐天皇鎌倉幕府打倒計画に呼応し、千種忠顕に従い六波羅探題攻めに加わる[4]建武3年/延元元年(1336年5月25日 湊川の戦いにて楠木正成に従い戦うが足利尊氏勢に討たれ戦死した[4]

大正8年(1919年11月15日大正天皇より正五位を追贈[2]

脚注編集

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  1. ^ 『神宮文庫所蔵本神社協會雜誌, 第 30 巻』国書刊行会、p.25
  2. ^ a b 妻木忠太 編『維新後大年表』有朋堂書店、p.440(1925)
  3. ^ a b 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.52(1985)
  4. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『石井末忠』 - コトバンク