石堂寺
千葉県南房総市石堂にある、天台宗の寺院。安房国三十四観音霊場20番。東国花の寺百ヶ寺千葉14番。
石堂寺(いしどうじ)は、千葉県南房総市石堂にある、天台宗の寺院。山号は長安山。院号は東光院。本尊は十一面観世音菩薩。
石堂寺 | |
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所在地 | 千葉県南房総市石堂302番地 |
位置 | 北緯35度03分05.8秒 東経139度57分29.1秒 / 北緯35.051611度 東経139.958083度座標: 北緯35度03分05.8秒 東経139度57分29.1秒 / 北緯35.051611度 東経139.958083度 |
山号 | 長安山 |
院号 | 東光院 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | 伝・726年(神亀3年) |
開山 | 伝・行基 |
正式名 | 長安山東光院石堂寺 |
別称 | 石堂観音 |
札所等 |
安房国札三十四観音霊場20番 東国花の寺百ヶ寺千葉14番 |
文化財 | 多宝塔(重要文化財)ほか |
法人番号 | 5040005015555 |
概要
編集伝承では726年(神亀3年)行基の開創という。また708年(和銅元年)奈良の僧・恵命と東照が創建し、851年~854年(仁寿年間)円仁(慈覚大師)が再興したともいうが、これらはどこまで史実を伝えるものかは定かでない。
当初は「石塔寺」と称し、近江国(滋賀県)の阿育王山石塔寺と上野国(群馬県)の白雲山石塔寺(妙義大権現境内)とともに日本三塔寺に数えられたという。1487年(文永19年)の火災で全焼するが、当地を支配していた丸氏の援助で、1522年(大永2年)までに再興された(火災は1486年(文永18年)ともいう)。室町時代末期、当寺で養育された足利頼氏の幼名石堂丸にちなみ、「石塔寺」を「石堂寺」に改めたという。
文化財
編集重要文化財(国指定)
編集- 石堂寺 2棟
- 本堂(附 厨子、棟札、庫裏) - 1513年(永正10年)頃建立。寄棟造妻入り、銅板葺き。大正5年(1916年)05月24日指定。
- 多宝塔(附 棟札、古材36点) - 寺に伝わる文書には天文14年(1545年)建立とあり、塔の相輪(仏塔の屋上にある棒状の部分)には天文17年(1548年)の銘がある(文化庁では後者を建立年としている)。平成4年(1992年)08月10日指定。
- 石堂寺薬師堂(附 棟札)
- 本堂東側の一段高い場所に建つ。1575年(天正3年)建立。寄棟造茅葺き。石堂寺の北方の南房総市(旧丸山町)石堂原から1971年移築したもの。昭和43年(1968年)04月25日指定。
- 木造十一面観音立像 - 平安時代の作品。大正5年(1916年)08月17日指定。
千葉県指定文化財
編集- 石堂寺山王宮
- 木造千手観音坐像
南房総市指定文化財
編集- 里見文書
- 石堂寺本堂再建文書
- 輪王寺一品親王文書
- 金剛盤
- 磬
- 梵鐘
- 宝篋印塔
- 鐘楼
- 絵画出山の釈迦
- 不動明王画像
- 達磨画像
- 足利頼氏公開連文書
- 木造持国天立像
- 木造廣目天立像
- 木造毘沙門天立像
- 木造元三大師坐像
- 木造足利頼氏坐像 附位牌
- 刀剣
- 絹本著色聖徳太子像
縁日・行事
編集- 1月1日 修正会
- 1月18日 初縁日
- 2月3日頃 節分祭
- 8月18日 夏縁日
- 12月31日 除夜の鐘
交通アクセス
編集- 館山日東バス石堂寺前バス停下車。
隣の札所
編集- 安房国札三十四観音霊場[1]
- 19 普門寺 -- 20 石堂寺 -- 21 智光寺