石 重乂(せき じゅうがい、919年 - 937年)は、後晋の高祖石敬瑭の三男。字は弘理。
儒学を好み、兵法に通じていた。
天福2年(937年)6月、洛陽の留守に就いていたとき、范延光の叛乱に同調した張従賓に攻められ殺された。死後、太傅を贈られ、天福7年(942年)には太尉と寿王に封ぜられ、天福8年(943年)にはさらに太師を贈られた。
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