神保 景正(じんぼう かげまさ)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将小早川氏毛利氏の家臣で、長州藩士。

 
神保景正
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 永禄4年(1561年
死没 寛永19年8月28日1642年9月22日
改名 神保景正→神保正十
別名 与右衛門(通称
主君 小早川隆景毛利秀就
長州藩
氏族 神保氏
就正
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生涯 編集

景正の出自はよく分かっていないが、永禄4年(1561年)に生まれる。はじめ小早川隆景に仕え、足軽大将(物頭役)を務めた。の「景」の字は隆景からの偏諱と思われる。

文禄・慶長の役では隆景に従って朝鮮に渡り、隆景が三原に隠居した際にも従っている。慶長2年(1597年6月12日に隆景が死去した後は牢人となったが、後に召し出され毛利秀就に仕えた。

寛永19年(1642年8月28日に死去。享年82。子の就正が後を継いだ。

参考文献 編集