秋月晴種

日本の戦国時代の武将。筑前古処山城主秋月文種長男で、秋月氏世嗣

秋月 晴種(あきづき はるたね)は、戦国時代武将

 
秋月晴種
時代 戦国時代
生誕 天文8年(1539年
死没 弘治3年7月12日1557年8月6日
別名 太郎(通称)
氏族 秋月氏
父母 秋月文種
兄弟 晴種種実高橋種冬[1]長野種信[2]原田親種
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略歴 編集

天文8年(1539年)、秋月氏15代当主・秋月文種の嫡男として誕生。

天文年間、足利義晴から偏諱を受け、晴種と名乗る。

弘治3年(1557年)7月に父・文種が毛利元就と通じて大友義鎮(宗麟)から離反したため、義鎮が派遣した立花道雪臼杵鑑速志賀親度らを大将とした2万の大軍に攻められる。父・文種が秋月城を捨てて古処山城に逃亡してくると、父を匿って大友軍と戦ったが、衆寡敵せず父と共に自害した。享年19[3]

脚注 編集

  1. ^ のち元種、高橋鑑種養子。
  2. ^ 子に永盛田原親貫
  3. ^ 『新訂寛政重修諸家譜18』