稲澤 俊一(いなざわ しゅんいち、1941年2月17日[1] - 2003年7月14日)は、日本の教育家、大学教員。福井県立大学の生みの親。地方官僚出身ながらリベラリスト。登山家の一面もあった。

教育長としては、国旗国歌の法制化に対して「五輪や国体などでは抵抗が少ないようだが、学校現場に集中して論じられることに疑問がある」との意見を述べた。

2003年7月14日、胃癌のため死去[1]

職歴 所属 年次
福井県立大学設立準備室長 福井県庁
福井県政策審議監 福井県庁
福井県立大学事務局長 福井県立大学
福井県教育長 福井県教育委員会
福井県立大学大学院経済・経営学研究科教授 福井県立大学大学院
福井県立大学大学院地域経済研究所教授 福井県立大学大学院
特定非営利活動法人地域公共政策支援センター理事 福井県立大学
福井県立博物館館長 福井県立博物館

著書 編集

  • 『福井県立大学の挑戦』(ゴリョー商事、1997年)
  • 『戦後の福井県行政』(地域公共政策支援センター、2001年)
  • 『福井の山と半島』(福井大学ワンダーフォーゲルOB会)

論文 編集

  • 「広域行政への提言−広域行政の意義と今後の課題−」(1976年)
  • 「福井県における望ましい定住圏構想」(1978年)
  • 「北近畿地域振興構想」(1986年)
  • 「大学職員 公立大学の事情」(『大学研究』第28号、2003年12月)

脚注 編集

  1. ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.66