健男霜凝日子神社

大分県竹田市にある神社
穴森神社から転送)

健男霜凝日子神社(たけおしもごおりひこじんじゃ)は、大分県竹田市に鎮座する神社である。

健男霜凝日子神社
所在地 大分県竹田市神原1822番地(下宮)
位置 北緯32度52分22.2秒 東経131度21分21.5秒 / 北緯32.872833度 東経131.355972度 / 32.872833; 131.355972 (健男霜凝日子神社)座標: 北緯32度52分22.2秒 東経131度21分21.5秒 / 北緯32.872833度 東経131.355972度 / 32.872833; 131.355972 (健男霜凝日子神社)
主祭神 健男霜凝日子大神
豊玉姫命
彦五瀬命他9柱[1]
社格 県社
地図
健男霜凝日子神社の位置(大分県内)
健男霜凝日子神社
健男霜凝日子神社
テンプレートを表示

概要 編集

祖母山信仰にかかわる祭祀を起源とし、祖母山山頂にある上宮、竹田市神原にある下宮神幸所穴森神社からなる神社である[1]嫗岳大明神鵜羽明神祖母山大明神とも呼ばれる。

沿革 編集

大化の改新中の651年白雉2年)に、下宮の社殿が建立されたと伝えられる[1]

健男霜凝日子神社

第一 鎮座祭神

 直入郡嫗嶽村字神原に在り、延喜式内の古社にして豊玉姫命を以て彦五瀬命に配祀し、健男霜凝日子神社と称し、孝徳天皇白雉二年斎き祀りたり。…
豊国小志』(明治40年)[2]

続日本後紀』によれば承和10年(843年)に従五位下、『三代実録』によれば元慶7年(883年)に正五位下神階を受けている。延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には豊後国の5社の式内社のひとつとして「健男霜凝日子神社」が挙げられており、当社の下宮又は穴森神社が比定される[1]

旧社格は、明治6年(1873年)に郷社、明治12年(1879年)に県社[1]

社宝 編集

、宝刀、扁額、軍旗などである。

第二 社寶
 本社神庫には白雉年間の木材を始め、緒方惟栄平家追討に用ゐたる軍旗二旒、扁額二面 藤原光長作鏡、大和守忠行、来行長、伊勢村政、了戒、天國、其他無銘の寶刀十数口、及 木狗 ○ 鰐 等あり。[注釈 1]

豊国小志』(明治40年)[2]

各社概要 編集

上宮 編集

祖母山の山頂に位置する祠である。現在はこの場所では祭祀は行われていない[1]。なお、祖母山山頂には宮崎県側の山麓にある祖母嶽神社の上宮もある。

下宮 編集

  • 所在地 - 大分県竹田市大字神原1822番地

白雉2年(650年)に社殿が建立されたと伝えられる。健男神社健男社とも呼ばれる。穴森神社とともに、『延喜式神名帳』記載の「健男霜凝日子神社」の論社とされる。

神幸所 編集

  • 所在地 - 大分県竹田市大字神原1772番地

かつては遥拝所であった。昭和9年(1934年)に国幣小社への昇格を目指して社殿が建立されたが、昇格を果たすことはできず、第二次世界大戦後は神幸所として祭事の中心になっている[3]

穴森神社 編集

  • 所在地 - 大分県竹田市大字神原1432番
  • 祭神 - 嫗嶽大明神

神社の背後に嫗岳大明神の化身の大蛇が棲んでいたとされる岩窟があり、御神体とされている。この大蛇にまつわる緒方惟栄の出生伝説は『平家物語』巻第八 緒環の章でも語られている[4]。岩窟内の小石を持ち帰ると子宝に恵まれるという伝承があり、恋愛成就・子宝祈願の参拝者が多い[5]。かつては池の明神窟大明神(いわやだいみょうじん)とも呼ばれた[6]下宮とともに、『延喜式神名帳』記載の「健男霜凝日子神社」の論社とされる。

脚注 編集

注釈
  1. ^ 木狗(もくく)はイタチに似た動物(『諸獣之図』、「百度百科」)。○は「梵」の脚が「几」。
出典

関連項目 編集

参考文献 編集