窪田 駒吉(くぼた こまきち、1883年明治16年)10月 - 1935年昭和10年))は、日本実業家鈴木商店東京支店長を経て、日本製粉社長として同社の経営再建にあたった。

人物・経歴 編集

高知県長岡郡介良村(現高知市介良)の貧しい屋の子として生まれる[1][2]。15歳で神戸に出て[1]、阪神樟脳合資会社を経て[2]金子直吉の知遇を得て鈴木商店に入社。上海出張所詰や天津出張所詰を務めて、鈴木商店が東京進出を果たし1912年に東京支店が設立されると、支配人から東京支店長に就任した[1][2]。1927年から鈴木商店傘下の日本製粉社長を務め、経営再建にあたった[2]。鈴木商店破綻後、三井物産に支援を求め、1933年まで日本製粉相談役を務めた[2][2][3]。墓所は多磨霊園

脚注 編集

  1. ^ a b c 「神戸鈴木商店東京支店長 窪田駒吉/149」,沢翠峰,尾崎吸江著『良い国良い人 : 東京に於ける土佐人』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ a b c d e f 窪田駒吉鈴木商店記念館
  3. ^ 両断されたわが国の製粉界三菱の日清後援に対し日本製粉は三井物産と握手東京朝日新聞 1927.5.25 (昭和2)(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 製粉業(02-140))
先代
岩崎清七
日本製粉社長(のちの専務)
1927年 - 1928年
次代
中村藤一