竇 皇后(とうこうごう、? - 前135年)は、前漢文帝皇后。名は不詳だが、猗房またはという説もある。清河郡観津県の人。兄は竇建(字は長君)。弟は竇広国(字は少君)。子は景帝・梁王劉武。娘は館陶公主

竇皇后
前漢の皇后
在位 文帝元年3月 - 後7年6月9日
前179年3月 - 前157年7月14日

全名 竇猗房(竇猗)
死去 建元6年5月26日
前135年6月29日
埋葬 覇陵
配偶者 文帝
子女 景帝、劉武、劉嫖
竇建
竇広国
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生涯編集

元は呂后の侍女であり、竇姫と呼ばれた。呂后より他の四人とともに代王劉恒に下賜した。 代国に到着した竇姫が劉恒の寵愛を独占し、二男一女を産んだ。

前180年に呂后が死去すると、劉恒(文帝)が新皇帝として擁立されることとなった。文帝の嫡出の皇子4人が早世したため、前179年に竇姫所生の劉啓(後の景帝)を皇太子に立てた。やがて竇姫も皇后となった。竇氏の兄弟2人は幼い頃から竇皇后と離れて奴隷にされた。弟の竇広国は後に観津の竇氏は皇后となったことを知り、皇后が自分の姉であると思った竇広国は竇皇后に手紙を送っている。竇皇后は驚き、竇広国を召し出して詳細を聞く。竇広国は「姉と駅で別れた時、姉は米のとぎ汁で頭を洗ってくれまし、私にご飯を食べさせてから出かけたのです」言い終わると竇皇后は泣いて弟の手を握った。

晩年に失明して寵愛も衰えていった。文帝の寵愛は慎夫人・尹姫に移っていった。

前157年に文帝が崩じて景帝の即位に伴って皇太后となった。竇太后は末子の梁王劉武を偏愛し、下賜は莫大であった。また梁王を後継者にしようと考えた。そのため景帝は次第に梁王を疎んじるようとなった。後に劉武は死去し、皇太后は号泣して食事を取らず、「皇帝がわが子を殺したのだ」と言った。景帝もどうしたらいいかわからなかったが、長女の館陶長公主の計により竇太后の悲しみは癒え、食事を再開した。

前141年に景帝が崩じて武帝が即位すると、太皇太后となった。即位当初の武帝が幼少のため、竇太皇太后が実権を握っていた。黄老思想を好んだという。生きている間に儒生が重用されることはない。

建元6年(前135年)に崩御し、文帝と共に覇陵へ合葬された。館陶長公主がその資産の大部分を継承した。

参考文献編集

登場作品編集

テレビドラマ